近藤坦平(読み)コンドウ タンペイ

20世紀日本人名事典 「近藤坦平」の解説

近藤 坦平
コンドウ タンペイ

江戸時代末期〜昭和期の医師,政治家 洋々堂院長;愛知県議。



生年
天保15年3月12日(1844年)

没年
昭和4(1929)年1月27日

出生地
尾張国碧南郡鷲塚村(愛知県碧南市)

別名
名=労,号=碧津

経歴
文久2年(1862年)江戸に上り、戸塚静海や松本良順らに従って洋方医学を学ぶ。元治1年(1864年)には長崎に赴き、オランダ人医師のボードインやハラタマらに師事した。明治1年郷里である尾張国碧南郡に帰り、4年には洋式診療所・病院の洋々堂を開設。また、5年には私医学校の蜜峰義塾を設立し、東海地方における西洋医学教育の先駆けとなった。のち地方政界でも活動し、12年愛知県会議員となり、同県会初の副議長に選ばれた。43年に病院長を辞職し、引退

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近藤坦平」の解説

近藤坦平 こんどう-たんぺい

1844-1929 明治-大正時代の医師。
天保(てんぽう)15年3月12日生まれ。江戸で松本順,長崎でボードイン,マンスフェルトにまなぶ。明治元年郷里三河鷲塚(わしづか)村(愛知県碧南市)にかえり,診療所洋々堂を開設。5年東海地方最初の西洋式医学校蜜蜂(みつぼう)義塾を創立した。12年県会議員。昭和4年1月27日死去。86歳。名は労。号は碧津。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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