(中西啓)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
オランダの陸軍軍医。お雇い外国人。オランダのユトレヒト大学とフローニンゲン大学で医学を学び、1850年ユトレヒトの陸軍軍医学校教官を務めた。1862年(文久2)長崎養生所でのオランダ人教師ポンペの後任として来日、40歳のオランダ陸軍一等軍医であった。外科、ことに眼科を得意とし、ヘルムホルツ検眼鏡を日本へ紹介するなどした。1867年(慶応3)幕府から江戸に設立される海軍病院ならびに内外科学校の準備をゆだねられて帰国中、戊辰(ぼしん)戦争が起こり、ヨーロッパから送った病院器材は明治新政府に没収され、中央の医学校教官首座もイギリス人のウィリスに奪われた。1869年(明治2)から大阪府仮病院へ処遇されて軍事病院(軍医学校)を兼務、軍陣外科学、選兵論を講じたが不遇であった。1870年帰国。
[神谷昭典 2018年8月21日]
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報