日本歴史地名大系 「近露村」の解説
近露村
ちかつゆむら
平安時代から熊野詣の宿泊地として、院の御所や供奉者たちの宿所が設けられた。「為房卿記」永保元年(一〇八一)一〇月三日条に「申剋、着近湯々屋、先浴近湯之河水」とあるのはこの地で、「中右記」天仁二年(一一〇九)一〇月二四日条に「渡近津湯之川祓」とあり、「源平盛衰記」巻九(康頼熊野詣附祝言の事)には「近津井」とみえる。久安三年(一一四七)正月日付鳥羽上皇熊野詣雑事支配状(神護寺文書)に「近津湯御宿」とあり、藤原定家は「後鳥羽院熊野御幸記」建仁元年(一二〇一)一〇月一四日条に「入近露宿所」と記し、宿所近くに院の御所があったことなどを記している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報