大坂峠(読み)おおさかとうげ

日本歴史地名大系 「大坂峠」の解説

大坂峠
おおさかとうげ

大坂と香川県大川おおかわ引田ひけた坂元さかもととを結ぶ道筋の板野町と鳴門市の境にある峠で、標高約二七〇メートル。大坂越ともいい、讃岐山脈(阿讃山脈)東端部に位置する。江戸時代には現香川県境寄りの西側ルートをとり、標高は約三五〇メートル。郡頭こおず駅を経由する古代の官道南海道の経路にもあたり、以後阿波と讃岐を結ぶ幹道の一つであった。元暦二年(一一八五)二月、平家討伐のために阿波勝浦かつうらに上陸した源義経軍は大坂峠を越えたといわれ、「平家物語」巻一一(勝浦付大坂越)には「阿波と讃岐とのさかゐなる大坂ごえといふ山を、夜もすがらこそ越られけれ」とある。ただし義経の阿讃あさん山脈越についてはもっと西方の清水しみず越や大山おおやま(現上板町)の経路をとったとする説もある。


大坂峠
おおさかとうげ

引田坂元さかもと徳島板野いたの郡板野町を結ぶ県道にある。標高一八九メートル。讃岐山脈東端の阿讃国境である。「三代物語」に「大坂山、坂の最も高き処に大木有り、二国のさかいなり、坂間一里許、険難頗る函関はこね坂に似たり」とあるように曲がりくねった坂道がつづく。古代の南海道は阿波から大坂峠を越えて讃岐に入ったと推定される。「吾妻鏡」元暦二年(一一八五)二月一九日条に「廷尉義経、昨日終夜、越阿波国与讃岐之境中山」とあり、「平家物語」巻一一には「かけ足になつ、あゆませつ、はせつ、ひかへつ、阿波と讃岐とのさかゐなる大坂ごえといふ山を、夜もすがらこそ越られけれ」とあるように、源義経はここを越えて屋島の平家追討に向かった。「南海流浪記」によると仁治四年(一二四三)讃岐配流となった高野山の道範阿闍梨は二月一一日阿波大寺を立ち、大坂越をして「讃岐あいの中の山なる大津賀」に至っており、大寺からの路程九里余とある。


大坂峠
おおさかとうげ

島の西部、大賀郷おおかごう樫立かしたての間にある峠。日露戦争戦勝記念として、明治四〇年(一九〇七)トンネルが開通するまで、島内交通の最大の難所であった。峠を境に北の大賀郷・三根みつね地区を坂下、南の樫立・中之郷なかのごう末吉すえよし地区を坂上と区別していた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大坂峠」の意味・わかりやすい解説

大坂峠
おおさかとうげ

香川・徳島県境にある峠。香川県東かがわ市と徳島県鳴門(なると)市の境で、古代の南海道が通じ、阿波(あわ)と讃岐(さぬき)の古くからの幹線。源義経(よしつね)も、屋島(やしま)の源平合戦の際、強風のため阿波に流され、徹夜でこの峠を越えて屋島を急襲したという。現在では海岸沿いに国道11号ができ、利用者は激減した。270メートルの峠からの眺めはすばらしく、現東かがわ市南野(みなみの)出身の元東京大学総長南原繁(なんばらしげる)の歌碑がある。

[坂口良昭]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大坂峠」の意味・わかりやすい解説

大坂峠
おおさかとうげ

徳島県北東部,讃岐山脈の東部,阿波・讃岐の国境にある峠。文治1 (1185) 年源義経が屋島の平家を攻撃する際,この峠を通ったといわれる。西の猪鼻峠とともに,古来讃岐山脈越えの重要な交通路。峠の東麓に藩政時代の大坂口御番所跡がある。峠の下を JR高徳線が 11のトンネルを縫って通過。

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事典・日本の観光資源 「大坂峠」の解説

大坂峠

(香川県東かがわ市)
香川のみどり100選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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