送り岬遺跡(読み)おくりみさきいせき

日本歴史地名大系 「送り岬遺跡」の解説

送り岬遺跡
おくりみさきいせき

[現在地名]相川町二見 送り岬

二見ふたみ半島の突端だいはな古墳より五〇〇メートル真野まの湾奥部の海浜にあり、七―八世紀の製塩炉跡を出土した。県下で最初に発掘調査された古代製塩遺跡。湾に面した中位海岸段丘突出部である標高二〇メートルの送り岬の崖下に、遺物包含層が長さ一〇メートル・厚さ一メートル露出していたが、新潟地震で崩壊しはじめたため、昭和三九年(一九六四)緊急発掘調査をした。遺跡は海浜より一〇メートル離れて、標高二メートルである。南方海辺は藻の密生する深さ五〇センチのロックテーブルが沖合五〇メートルに延び、製塩に好条件な風の当たらない立地。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 口径

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む