二見村(読み)ふたみむら

日本歴史地名大系 「二見村」の解説

二見村
ふたみむら

[現在地名]相川町二見

北東は沢根さわね羽二生はにう(現佐和田町)、西は米郷よなごう村、前は海。真野まの湾の北西部に位置する。集落は元村もとむら新地しんちに分れる。永徳元年(一三八一)四月日の本間道喜申状并足利義満(カ)袖判安堵状写(本田寺文書)に本間九郎左衛門入道道喜が「蓋見半分」の地頭職を安堵されている。戦国期には大浦おおらとともに沢根(現佐和田町)本拠をおいた沢根本間氏の領有する所であったと思われる。「佐渡巡村記」では田三町二反余・畑九町九反余。戸口は四二軒・一六六人。元村は寛永五年(一六二八)姫津ひめづ村とともに、相川湊の補助湊に指定されている(佐渡年代記)


二見村
ふたみむら

[現在地名]八代市二見本ふたみほん

日奈久ひなぐ村の南方にある村で、西方は八代海に臨む。南西部の赤松太郎あかまつたろう峠を分水嶺として北流する二見川に沿って立地し、薩摩街道沿いに十五里木があった。「延喜式」(兵部省)朽網くたみ駅の比定地とされ、駅馬五匹、伝馬五匹が置かれた。永和二年(一三七六)七月一六日の今川満範書状(禰寝文書)に「田浦二見と申所ハ八代堺候」とみえ、当時名和氏支配下の当地を攻略した。長禄四年(一四六〇)頃の相良長続書状(相良家文書)は園田主計尉に二見城の普請については永留長連らと談合するようにと申送っている。


二見村
ふたみむら

[現在地名]益田市飯浦町いいのうらちよう

二見川流域に位置し、東は小浜こはま村、北は日本海。二見川に沿って津和野城下に向かう道が走り、南の有田ありた村との境に険しい傾城けいせい峠が立ちはだかるが、この道は海浜に出る重要な街道であった。西隣の飯浦村に向かうには人形にんぎよう峠の険を越さねばならない。江戸時代の支配の変遷は持石もちいし村と同じ。古高一三石余、寛永一四年(一六三七)の検地高六石余(万手鑑)正保国絵図では村名がみえない。天保郷帳も村名がない。安永(一七七二―八一)宇津川うづかわ(現美都町)の庄屋斎藤氏は当地に新田を開発した。


二見村
ふたみむら

[現在地名]五條市二見一―七丁目

吉野川・丹生にう川合流地北岸にある。二見には二水説、雨師神・二見神社にちなむ降水説がある。和銅二年(七〇九)一〇月二五日の弘福寺田畠流記帳(円満寺文書)に「内郡二見村陸田陸段」とある。「延喜式」神名帳に「二見」の社名、「姓氏録」大和国神別には「二見首」の人名が認められる。古代後期からは豊井とよい庄に属していたらしく、東大寺文書に同庄名や「二見郷」が記されている。

慶長郷帳では「二神村」とみえる。村高七五一・一六一石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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