日本の城がわかる事典 「逆井城」の解説 さかさいじょう【逆井城】 茨城県坂東市(旧猿島町)にあった城郭。下野国(現栃木県)の祇園城主の小山義政の五男常宗を始祖とする逆井氏が築いた。逆井氏はその後、古河公方家に仕えたが、1536年(天文5)、逆井城は北条氏康の部将の大道寺氏の攻撃を受けて落城し、城主の逆井常繁は討ち死にした。北条氏はこの城跡に飯沼城を築き、1577年(天正5)には、玉縄城(神奈川県鎌倉市)の北条氏繁が城主となって大規模な改修を行って規模の大きな城郭となり、佐竹氏や多賀谷氏など常陸国の反北条勢力と対峙する前線の拠点となった。北条氏の飯沼城の所在地は長い間特定できなかったが、1982年(昭和57)から数次にわたって行われた旧猿島町による発掘調査で、逆井城のあった場所に築かれていたことが判明した。また、『関八州古戦録』によれば、この城には風魔孫右衛門、石塚氏などの北条氏の忍者集団300人あまりが在城していたという。1590年(天正18)の小田原の役により北条氏が滅びた後、廃城となった。現在、城跡は逆井城跡公園として整備され、園内に堀や土塁などの遺構が保存されているほか、戦国期の城郭をイメージした模擬建築物が建っている。JR宇都宮線古河駅から車。◇飯沼城とも呼ばれる。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報