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小山義政 おやまよしまさ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小山義政
おやまよしまさ

[生]?
[没]弘和2=永徳2(1382).4.13. 下野,小山
南北朝時代の武将。下野守氏政の子。天授6=康暦2 (1380) 年,宇都宮基綱を攻めて鎌倉御所足利氏満に反抗,氏満に本拠小山を攻められ一時降伏したが,反抗は再三に及んだ。出家して永賢と号したが,弘和2=永徳2 (82) 年3月,小山祇園城を囲まれて自殺。 (→小山氏 )

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小山義政 おやま-よしまさ

?-1382 南北朝時代の武将。
小山氏政の子。文和(ぶんな)4=正平(しょうへい)10年家督をつぎ,下野(しもつけ)(栃木県)の守護,小山城主となる。康暦(こうりゃく)2=天授6年宇都宮基綱を討ったため,鎌倉公方足利氏満に攻められる。降伏,反抗をくりかえし3度目の敗戦で逃亡中,永徳2=弘和(こうわ)2年4月13日自害した。通称は小四郎。法名は永賢。

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朝日日本歴史人物事典の解説

小山義政

没年:永徳2/弘和2.4.13(1382.5.26)
生年:生年不詳
南北朝時代の武将。従五位下,下野守。通称小四郎。初め下野守護として活動し,上杉氏を除けば関東で唯一,度々幕府に馬を献上している。しかし領域拡大に伴い,下野の雄族宇都宮氏との対立を深め,康暦2/天授6(1380)年5月宇都宮基綱を討った。このことで義政の勢力が,鎌倉府の基盤とする武蔵北部,下総北西部におよぶことを恐れた鎌倉公方足利氏満は,直ちに大軍を集めて小山を攻める。同年9月義政は降伏するが,翌永徳1/弘和1(1381)年2月に再度挙兵。小山・鷲城において鎌倉府軍と約半年におよぶ戦闘を展開したのち,12月,出家して永賢と号し降参した。翌年3月,三度反抗し糟尾山中に籠城したが,4月13日敗れて自害した。この小山義政の乱の終息によって,鎌倉府の関東支配はようやく安定の方向に向かった。<参考文献>『小山市史』通史編Ⅰ

(松本一夫)

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世界大百科事典 第2版の解説

おやまよしまさ【小山義政】

?‐1382(弘和2∥永徳2)
南北朝時代の武士。五郎,左馬助,下野守。小山氏政の子。下野に生まれる。1367年(正平22∥貞治6)ころより下野守護となる。そのころより南北に勢力をのばし,鎌倉公方の料所下総下河辺荘や下野宇都宮領へ進出,足利氏満,宇都宮基綱との対立を深めていく。1380年(天授6∥康暦2)宇都宮基綱を殺害したことから,足利氏満の討伐をうけ,3次にわたる攻防戦の末,82年下野糟尾城(寺窪城)で戦死した。【市村 高男】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小山義政
おやまよしまさ
(?―1382)

南北朝時代の武将。下野(しもつけ)(栃木県)の守護。1355年(正平10・文和4)父氏政(うじまさ)の死去に伴い家督を継ぐ。勢力拡大を図って、80年(天授6・康暦2)5月、宇都宮基綱(うつのみやもとつな)と争い、基綱以下80余人を殺した。鎌倉公方(くぼう)足利氏満(あしかがうじみつ)はこれを鎌倉府への謀反とみなし、関東八か国の武将に義政追討の命令を下した。義政は討伐軍に祇園(ぎおん)城を囲まれていったんは降伏したが、なお策動を続けたために翌年ふたたび攻撃を受けた。義政は剃髪(ていはつ)して氏満の許しを請うた。82年(弘和2・永徳2)3月祇園城を焼いた義政は、都賀(つが)郡糟尾(かすお)の山中に逃れ挙兵したが、衆寡敵せず、4月13日自刃して果てた。[佐藤和彦]
『渡辺世祐著『関東中心足利時代之研究』(1926・雄山閣)』

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世界大百科事典内の小山義政の言及

【小山氏】より

… 南北朝内乱期には,小山朝氏は陸奥からの北畠顕家の侵攻,常陸からの北畠親房の働きかけなどがあって,一時中立的な立場をとったが,おおむね足利尊氏に属し,弟の氏政は尊氏とともに各地に転戦した。しかし,1380‐82年(天授6∥康暦2‐弘和2∥永徳2),小山義政は宇都宮基綱との私闘が原因で,鎌倉公方足利氏満に反乱をおこし,小山鷲城,祇園城などに拠って関東の大軍を迎撃し,ついに糟尾の山中で自殺する。子の若犬丸は,その後も下野・陸奥南部で抵抗を繰り返したが,やがて敗れ,小山氏は滅亡する。…

【下野国】より

…基氏は氏綱討伐の軍を派遣して宇都宮城を攻落した。氏綱の後を継いだ基綱は80年(天授6∥康暦2)下野守護小山義政と対立して殺された。鎌倉公方足利氏満はただちに関東の諸将に義政追討を命じ,義政は鷲城,祇園城,粕尾城などに拠って抗戦したが,82年(弘和2∥永徳2)自害し,ここに名族小山氏は断絶した。…

※「小山義政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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