通四丁目(読み)とおりよんちようめ

日本歴史地名大系 「通四丁目」の解説

通四丁目
とおりよんちようめ

[現在地名]中央区日本橋四丁目

通三丁目の南に続く東海道沿いの両側町。西は檜物ひもの町・上槙かみまき町、東は箔屋はくや町・岩倉いわくら町、南は中橋広小路なかばしひろこうじに続く。町の中央を東西に走る横丁の西は五輪ごりん町、東の方は通四丁目東新道とよばれた。安永三年小間附町鑑によれば京間一二〇間七寸八分で、公役金を負担。名主は通一丁目と同じ。

江戸惣鹿子名所大全」には秤師守随彦太郎、組糸屋次郎左衛門、大仏師法橋光清、張子屋並雛類の木戸和泉、葛羅屋の庄右衛門、漆屋のうるしや新右衛門、鑷子屋のかけふや茂左衛門、傀儡人形師丹後守、硯屋の豊前守信次らの名がある。宝暦七年(一七五七)頃には杉田玄白が絵師楠本雲渓宅の隣地に医院を開業した(杉田家三代略譜)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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