道後町
どうごまち
[現在地名]松山市清水町一丁目・高砂町一丁目・文京町
松山城下町の最北端に位置し、新町の北を東西に通ずる町筋。東から今市町・道後町・鍛冶屋町の三町が連なり、一本の道路を形成していた。北は味酒村に接する。伝承によると、慶長年間(一五九六―一六一五)に松山城下町がつくられた時、道後村の人々がこの地域に移転して、道後町と名付けたという。元禄―正徳年間(一六八八―一七一六)と推定される松山秘図(伊予史談会蔵)にこの町名がみえ、元禄年間(一六八八―一七〇四)の記事を載せた「松山町鑑」(同会蔵)の「外巡町弐拾三町」のなかにも記されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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