出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
日本古代の都城制で設定された,生産物販売のための特殊な地域。平安京には東,西の市町があって,市司(いちのつかさ)の管理下に,東市に51鄽(くら),西市に33鄽が設定されている。鄽とは商品の種類を指すが,〈市町ニ売ル物モ販女(ひさぎめ)ノ売ル物モ極テ穢キ也〉(《今昔物語集》)とあるように,行商にたいして市町には固定した店舗があることを示し,鄽も政府から指定された商品を売買する店舗の意味に転化すると解してよい。市町の商人は市人,市女(いちめ)といわれ,地子(じし)を免除されて市町で生活しているが,ほかに市籍をもたない商人も地子を納入して市町への居住を認められた。《和名類聚抄》は店を〈坐して売る舎,俗にいう町これなり〉とし,《伊呂波字類抄》に店家をマチヤとしているのは,市町の店舗から生まれた語句であろう。室町時代に伊勢山越えの近江商人が,市町での抜刀を禁止する掟を作成している。また近江国得珍保(とくちんのほ)呉服座商人が在々所々市町商売を守護から保証されているのも,市町の商業が店舗商売であることを示している。江戸時代に市町の語は在郷,田舎にたいする市街地の意味に転化する。
→市
執筆者:仲村 研
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…これらの市は,商品経済の発展にしたがってしだいに淘汰され,大きな市に統合されていった。そして市町といわれる町場と市との併存形態の中心集落が形成された。この中心集落は在地武士の城館と結合する場合が多く,尾張国では,16世紀,19の中心集落が,城下市町として,ほぼ4~6kmの間隔で分布して形成されていた。…
…守護町から戦国城下町に発展したものは鹿児島,人吉,山口,石寺,駿河府中,甲斐府中などで,多くない。一方,室町期に国人領主らの営む城館集落には,近隣に市町(いちまち)をもつものがみられるようになり,彼らの戦国大名化とその領国支配の進展にともなって,戦国大名は城郭の整備とともに近隣の市町を吸収し,ここに城下町が出現することとなった。ただ戦国城下町で計画性をもち整備されたのは市町のみで,しかも市町に給人が進出し,市屋敷を所有することもみられた。…
※「市町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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