道意新田
どういしんでん
[現在地名]尼崎市道意町一―七丁目・中浜町・武庫川町一丁目
西新田村の東に位置し、東は蓬川を隔てて川辺郡新城屋新田・西高洲新田。「どいしんでん」ともいう。承応二年(一六五三)の開村、尼崎藩領として明治に至る(尼崎市史)。藩主青山幸利が針治療を受けている西成郡海老江村(現大阪市福島区)の中野道意に、尼崎藩に新田開発を願出るように勧めた。東新田村地内南の蓬川新田・樋口屋新田の南に広がる太布脇の地と定めて、子の中野中兵衛と縁者二名の三名が承応二年開発を願出て許された。のち開発の加入者が続き、寛文九年(一六六九)の高入れで高六一四石余と定められ、同時に太布脇新田を道意新田と改めた(「太布脇新田開発記」橋本家文書、「尼崎市史」)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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