朝日日本歴史人物事典 「遠藤七郎」の解説
遠藤七郎
生年:天保10(1839)
幕末維新期の草莽の志士。越後国蒲原郡葛塚村(新潟県豊栄市)の代々庄屋の子。名は昭忠,字は子明,号は愛山,甘雨,睡虎など。大塩平八郎に私淑して陽明学を修め,天下に対して気概を持つ。明治1(1868)年の戊辰戦争では,近郷の農民有志を組織して北辰隊を結成,自ら隊長となり政府軍に協力した。また長州軍参謀奥平謙輔に従って東北地方を転戦,次いで佐渡の守衛に当たる。その功により終身5人扶持と一代苗字帯刀を許された。同3年2月東京で,北辰隊を含む第3遊軍隊が組織されこれに属したが,同年9月に解散を命ぜられて帰郷。開化の風潮と相容れず,家産も失って晩年は不遇に終わった。
(高木俊輔)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報