朝日日本歴史人物事典 「奥平謙輔」の解説
奥平謙輔
生年:天保12.1.21(1841.2.12)
萩の乱の指導者。名は居正。号は弘毅斎。長州(萩)藩八組士奥平清兵衛の子として土原(萩市)に生まれる。禄高101石。藩校明倫館に学ぶ。才気あり,大志を抱き,学を好み,また詩賦に長じていた。文久3(1863)年,先鋒隊士として下関で対外国船砲撃に参加。慶応2(1866)年干城隊に入り,明治1(1868)年の戊辰戦争では越後,会津に転戦した。同2年4月越後府権判事として佐渡に赴任するが,8月には辞職して帰郷。同9年攘夷論を説き,帯刀を勧めて脱刀脱袴を禁ずる動きを示し,10月,前原一誠と共に萩の乱を起こした。敗れて萩で斬首された。年36。
(三宅紹宣)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報