新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「遠藤胤城」の解説 遠藤 胤城エンドウ タネキ 肩書吉見藩知事 別名別名=東胤城 生年月日天保9年6月5日(1838年) 出生地大坂・玉造 経歴文久3年近江三上藩主となり、明治3年和泉吉見藩知事。 没年月日明治42年11月9日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「遠藤胤城」の解説 遠藤胤城 えんどう-たねき 1838-1909 幕末-明治時代の大名,華族。天保(てんぽう)9年6月5日生まれ。遠藤胤統(たねのり)の3男。文久3年近江(おうみ)(滋賀県)三上藩主遠藤家6代となる。講武所奉行,奏者番(そうじゃばん)をつとめた。明治3年和泉(いずみ)(大阪府)吉見藩知事。11年以後は祖先の東(とう)姓を名のった。子爵。明治42年11月9日死去。72歳。名は「たねしろ」ともよむ。 遠藤胤城 えんどう-たねしろ ⇒えんどう-たねき 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by