邑楽御厨(読み)おうらのみくりや

日本歴史地名大系 「邑楽御厨」の解説

邑楽御厨
おうらのみくりや

現在の邑楽郡・太田市一帯にあったと思われる御厨。建久三年(一一九二)八月日の伊勢大神宮神主請文写(神宮雑書)に「邑楽御厨内○給主新中納言家」とあり、伊勢内宮料所であること、給主は新中納言家(土御門通親か)であることがわかるが、この御厨建立は往古にさかのぼるが、国衙の妨げで供祭料が中絶している旨の注記がある。「神鳳鈔」は「邑楽御厨」の肩に「内宮 布五十段 五十六町」の注記を付し「ヲアラキ」とある。年欠一二月三日の足利義持御内書写(御内書案)は「小倉大納言実教卿遺領上野国邑楽御厨」を京都の南禅寺徳雲院に寄進した旨を記しているが、これは上級得分権(給主職)の寄進であろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む