日本歴史地名大系 「郡司分村」の解説 郡司分村ぐじぶんむら 宮崎県:宮崎市郡司分村[現在地名]宮崎市郡司分・希望(きぼう)ヶ丘(おか)二―四丁目南方(みなみかた)村の南西に位置し、東流する清武(きよたけ)川左岸に立地する。那珂郡に属し、西は宮崎郡加納(かのう)村(現清武町)、東は日向灘に面する。南北に鵜戸(うど)街道が通る。建武三年(一三三六)七月七日の日下部盛連証状(郡司文書)にみえる「那賀郡郡司名」は国富(くどみ)庄内に設定された郡司名とされ、当地はその遺称地とされる。観応三年(一三五二)五月一八日、日下部資直は先祖の菩提を弔うため大光(だいこう)寺(現佐土原町)開山嶽翁に対し、田一丁五反に「くんしミやの内うしかきのはたけ」三反を添えて寄進している(「日下部資直田畠寄進状」大光寺文書)。弘治二年(一五五六)六月吉日の土田帳写(予章館文書)には田吉(たよし)一ノ宮大宮司分として本郷郡司分(ほんごうぐじぶん)のうち五反とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by