部坂庄(読み)へさかのしよう

日本歴史地名大系 「部坂庄」の解説

部坂庄
へさかのしよう

安貞二年(一二二八)の七条院藤原殖子処分目録案(東寺百合文書)に「大和国(中略)部坂庄」とあり、七条院(高倉天皇後宮、後高倉院・後鳥羽天皇母)領。所在は荘号から大字重阪へいさかと考えられる。その相承次第は、承久の乱で後鳥羽上皇領とともに鎌倉幕府に没収されたが、のち返進され、安貞二年に七条院から後鳥羽皇后修明門院、建長三年(一二五一)に四辻(善統)親王、弘安三年(一二八〇)後宇多天皇、徳治三年(一三〇八)尊治親王(後醍醐天皇)に相伝され、大覚寺統領になったと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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