デジタル大辞泉
「御所市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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御所市
ごせし
面積:六〇・八一平方キロ
奈良盆地西南部、金剛葛城山地東麓、葛城川・曾我川上流、古代の葛城の地。東北は大和高田市、橿原市。東は曾我川流域をもって高市郡・吉野郡に対し、西は大阪府、南は五條市、北は北葛城郡。市域中央を葛城川が北流し、曾我川との間に巨勢丘陵がある。
市内には「古事記」「日本書紀」「万葉集」記載の古代地名が多い。葛城は飛鳥文化以前の古代史の舞台として、三輪王朝と対照的に注視されるが、古代大和六県の一、葛城県の地で、奈良・平安時代の文化は諸社寺やその旧跡によって推知され、平地部に条里制遺称が歴然と残る。御所の地名は中世越智郷の中に現れ(春日神社文書)、近世には御所陣屋町として伸展、葛上郡、近代の南葛城郡の中心で、昭和三三年(一九五八)御所市となった。
〔原始〕
縄文遺物はわずかに高野街道に沿う日置池付近から後期縄文式土器・石槍・石鍬などが出土。弥生式土器は各地に散在、とくに鴨都波遺跡から大量の土器・木器・石器、竪穴住居・溝土坑などを発見、名柄遺跡からは銅鐸・多鈕細文鏡が伴出。古墳では宮山古墳・鑵子塚古墳・山本山古墳などが古墳中期の代表的前方後円墳で、宮山古墳は壮大な竪穴式石室と組合せ長持形石棺を有し、大量の副葬品・形象埴輪を出土。中期から後期にかけては金剛山(標高一一一二・二メートル)東麓および曾我川上流の巨勢谷に主として小円墳からなる石光山古墳群・石川古墳群・吐田平古墳群があり、巨勢山古墳群は県下最大級の古墳群で、水泥古墳・権現堂古墳・新宮山古墳・条古墳などは石棺をもつ後期古墳である。
〔古代〕
「日本書紀」にみえる武内宿禰の子、葛城襲津彦(仁徳天皇皇后磐之媛の父、玉手臣の祖)が新羅の民を配置した桑原・佐糜・高宮はいずれも御所市域と考えられ、「坂上氏系図」「姓氏録」逸文には桑原村主・佐味村主・高宮村主らの名がみえる。「姓氏録」山城国諸蕃秦忌寸の条には秦の始皇帝の裔、阿智王・弓月君らが応神天皇一四年に一二七県の民とともに渡来、朝妻・掖上(現御所市)の地に居住したとあり、早くから外来文化の影響を受けたと思われる。「日本書紀」仁徳紀の磐之媛の歌に「我が見が欲し国は 葛城高宮 我家のあたり」とあり、蘇我蝦夷が葛城高宮に祖廟を立て(皇極紀)、蘇我馬子は「葛木県は元臣が本居の地なり」と称した(推古紀)。雄略・天武・持統各紀には天皇葛城行幸の記事がみえ、三輪(現桜井市)・藤原(現橿原市)地方間に斜向する葛上道の開けていたことが推知される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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