都万太夫(読み)みやこ まんだゆう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「都万太夫」の解説

都万太夫 みやこ-まんだゆう

?-? 江戸時代前期の歌舞伎の名代(なだい)。
前身浄瑠璃(じょうるり)太夫。寛文9年(1669)芝居興行権を免許され名代となり,京都四条に都万太夫座創立坂田藤十郎,近松門左衛門とくみ,元禄(げんろく)期に全盛をむかえた。名代は明治39年南座と改称されるまでつづいた。前名は都越後目(えちごのさかん),都越後掾(じょう)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「都万太夫」の解説

都万太夫(初代)

生年生没年不詳
江戸前期の京都都万太夫座の名代。寛文9(1669)年,歌舞伎物真似の名代を許され興行権を得る。四条南側芝居(当時の大芝居)を小屋として,初代の時代が最も隆盛をきわめ,元禄期を中心に坂田藤十郎と近松門左衛門との提携による上方歌舞伎黄金時代を形成した。のち名代は相続されたが「南側の芝居」と呼ばれ,その劇場名は近代には南座と改称されている。

(今西晶子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の都万太夫の言及

【南座】より

…その後興亡をくりかえしたが,幕末には南北2軒だけとなり,1893年四条通りの拡張工事によって北側芝居(北劇場,北座)は廃止され,南側に残った1軒が現在の南座である。江戸時代を通じて名代,座本は一定しなかったが,おもに都万太夫(みやこまんだゆう)と布袋屋(ほていや)梅之丞であった。古くは名代名を,のちには南の芝居,南側の芝居とよび,劇場名として南座におちついたのは明治中期である。…

※「都万太夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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