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坂田藤十郎 サカタトウジュウロウ

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デジタル大辞泉の解説

さかた‐とうじゅうろう〔‐トウジフラウ〕【坂田藤十郎】

歌舞伎俳優。
(初世)[1647~1709]京都の人。元禄期(1688~1704)を代表する上方の名優。和事の祖とされる。上方歌舞伎の基礎を築き、作者に近松門左衛門を得て数々の名作を残した。
(4世)[1931~ ]2世中村鴈治郎(がんじろう)の長男。平成2年(1990)3世鴈治郎、平成17年(2005)4世藤十郎を襲名。屋号、山城屋。平成21年(2009)文化勲章受章。

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百科事典マイペディアの解説

坂田藤十郎【さかたとうじゅうろう】

歌舞伎俳優。現在4世。初世〔1647-1709〕が有名で,元禄期の上方劇壇を代表する名優。近松門左衛門と提携して,歌舞伎を舞踊中心から会話中心の写実劇に発展させた。
→関連項目元禄文化役者論語

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朝日日本歴史人物事典の解説

坂田藤十郎

没年:宝永6.11.1(1709.12.1)
生年:正保4(1647)
元禄期,上方の歌舞伎役者。家は越後(新潟県)の出。京の座本坂田市左衛門の子。近年発見の『金子吉左衛門日記(元禄11年日記)』では長政と呼ばれている。青年期については不明だが,花車形(老女形)の名優杉九兵衛,能の小鼓の名人骨屋庄右衛門らに教えを受けた。30歳の延宝4(1676)年役者評判記に名前がみえるのが早い資料。同年11月の「滝口」の演技で,末たのもしき役者と絶賛された。同6年,大坂新町廓の名妓夕霧が没したが,藤十郎はその事蹟を仕組んだ「夕霧名残の正月」で藤屋伊左衛門に扮し,以後この役をくり返し演じて生涯の当たり役とした。元禄6(1693)年近松門左衛門作「仏母摩耶山開帳」のころより近松を厚遇し,以後提携が続いて元禄上方歌舞伎の隆盛を導いた。元禄9年から5年間都万太夫座の座本。12年の「けいせい仏の原」の梅永文蔵,15年の「けいせい壬生大念仏」の高遠民弥にやつし芸(貴人が身をやつす,あるいは落ちぶれる役柄)の完成した演技を示し,京都劇界の頂点に立った。宝永期(1704~11)に入ると病がちで芸がおとろえ,近松も大坂に去った。宝永4(1707)年舞台で大和山甚左衛門に紙子(「やつし」の象徴的な衣裳)をゆずって隠退,2年後に亡くなった。舞踊や武道事は苦手としたが,口跡にすぐれ,やつし事,濡れ事に長じた。その徹底した写実主義の演技観は金子吉左衛門(一高)が記録した芸談集『耳塵集』(『役者論語』1776)にみられる。藤十郎には2代目,3代目があったが,初代にはおよばなかった。<参考文献>「元禄11年日記」(鳥越文蔵編『歌舞伎の狂言』),守随憲治『歌舞伎序説』,演劇史学会編『演劇史研究Ⅰ/元禄劇篇』

(松平進)

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世界大百科事典 第2版の解説

さかたとうじゅうろう【坂田藤十郎】

歌舞伎役者。(1)初世(1647‐1709∥正保4‐宝永6) 1676年(延宝4)には立役で京の都万太夫座四天王の一人とされ,2年後大坂で演じた《夕霧名残の正月》の伊左衛門はその名声を高めた。以来夕霧狂言の伊左衛門は生涯の当り芸として繰り返された。主として京都で活躍し,狂言も作ったが,93年(元禄6)ころから近松門左衛門の作を多く演じ,以後の代表的な当り芸は99年《傾城仏の原》の梅永文蔵,1702年《傾城壬生大念仏(けいせいみぶだいねんぶつ)》の高遠民弥など。

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大辞林 第三版の解説

さかたとうじゅうろう【坂田藤十郎】

(初世)(1647~1709) 歌舞伎俳優。京都の人。元禄期(1688~1704)を代表する俳優。江戸の荒事の市川団十郎に対し、京坂で写実的な和事の名優として知られ、近松門左衛門と提携し、数々の名演技を残した。特に、やつしは絶品とされ、上方歌舞伎の基礎を築いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

坂田藤十郎
さかたとうじゅうろう

歌舞伎(かぶき)俳優。現世まで4世を数える。

初世

(1647―1709)元禄(げんろく)時代(1688~1704)の上方歌舞伎(かみがたかぶき)を代表する名優。京都の座本坂田市左衛門(一説に藤右衛門)の子。1676年(延宝4)ごろから記録に現れ、早くも将来が楽しみな役者だとの期待を得ている。1678年『夕霧名残(ゆうぎりなごり)の正月』の伊左衛門を演じて大好評を得たため、この年は四度もこの役を繰り返し演じ、後年の芸の基礎をつくった。元禄に入ってからしだいに芸も人気も上昇し、近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)と提携して『仏母摩耶山開帳(ぶつもまやさんかいちょう)』『傾城阿波(けいせいあわ)の鳴門(なると)』『水木辰之助餞振舞(みずきたつのすけたちぶるまい)』『百夜小町(ももよこまち)』『大名曽我(だいみょうそが)』などに次々と出演、傾城事(けいせいごと)・やつし事によって確固たる地位を築いた。1695年(元禄8)11月から京都の都万太夫座(みやこまんだゆうざ)の座本も兼ねた。最頂期の元禄10年代には、『傾城仏の原』『傾城弘誓(ぐぜい)の船』『傾城壬生大念仏(みぶだいねんぶつ)』などの名作に出演。弁説に優れ、とくにやつし・濡(ぬ)れ事・くどきの芸に卓越した技芸を見せ、「役者道の開山」「希代の名人」などともてはやされた。菊池寛作『藤十郎の恋』によって現代人にも親しみのある名優である。[服部幸雄]

2世

(1669―1724)初世の弟分。通称「伏見藤十郎(ふしみとうじゅうろう)」。[服部幸雄]

3世

(1701―1774)江戸長唄(ながうた)の唄方で坂田派の祖、坂田兵四郎(ひょうしろう)(初世藤十郎の甥(おい))の門人が、1739年(元文4)江戸で襲名したが、大成しなかった。[服部幸雄]

4世

(1931― )本名林宏太郎(こうたろう)。屋号山城屋。2世中村鴈治郎(がんじろう)の長男。2世中村扇雀(せんじゃく)を経て、1990年(平成2)に3世鴈治郎を襲名。女方(おんながた)としてスタートしたが、祖父である初世中村鴈治郎以来の立役としての上方和事芸を継承するとともに、研究劇団近松座を主宰するなど情熱的な活躍をみせている。扇雀時代には坂東鶴之助(後の5世中村富十郎(とみじゅうろう))とともに、武智歌舞伎(たけちかぶき)に参加して活躍し、「扇鶴時代」とよばれるほどの人気を集めた。1994年重要無形文化財保持者、同年芸術院会員となる。2003年文化功労者。2005年先代の没後231年ぶりに4世藤十郎を襲名した。長男が5世中村翫雀(かんじゃく)(1959― )、次男が3世中村扇雀(1960― )である。[服部幸雄]
『亀岡典子聞書『夢 平成の藤十郎誕生』(2005・淡交社)』

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