日本の城がわかる事典 「都之城」の解説 みやこのじょう【都之城】 宮崎県都城市都島町字本城にあった山城(やまじろ)。北郷氏(ほんごうし)(島津一族)の本城として築かれ拡張された城で、縄張りは、空堀を挟んで西の丸(狭野神社境内)、その西側に池之上城、中尾城、南側に外城、中之城、南之城等の曲輪(くるわ)が配置されていた。城は北郷氏累代の居城となるが、1595年(文禄4)薩摩祁答院(けどういん)3万7000石へ移封され、伊集院忠棟(いじゅういんただむね)が豊臣秀吉の命で大隅鹿屋から移され8万石の城主となった。1599年(慶長4)、島津宗家の継承問題から伊集院忠棟は、当主島津忠恒(ただつね)(後に家久)によって手討ちになったため、忠棟の子忠真は庄内の乱を起こした。庄内の乱後、忠真は殺害され、替わって北郷忠能が4万1300石を領して都之城城主となったが、1615年(元和1)、一国一城令により都之城は廃城となり、北郷氏は領主館を築いて明治まで都之城を領した。現在、本丸部分が城山公園として整備されて公園入口には櫓(やぐら)門が建てられ、本丸には櫓風建物の都之城歴史資料館がある。JR日豊本線都城駅からバスで岳之下降車。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報