改訂新版 世界大百科事典 「鄂隠慧〓」の意味・わかりやすい解説
鄂隠慧 (がくいんえかつ)
生没年:1366-1425(正平21・貞治5-応永32)
室町中期の五山禅僧。筑後の人。字は鄂隠,諱(いみな)は慧奯。初め大奯といった。幼にして絶海中津の門に投じ,その法を継いで夢窓派の人となる。1386年(元中3・至徳3)入明し,行中至仁,仲銘克新などに参じた。帰国後,細川頼之に招かれて阿波宝冠寺などに住したが,1410年(応永17)3月23日相国寺,17年2月9日天竜寺に住した。その間14年6月12日に相国寺の鹿苑院に入り,僧録の業務を務めたが,18年6月12日,将軍足利義持との不和のため土佐国吸江庵に逐電してしまった。25年2月18日没。1456年(康正2)冬,後花園天皇から仏恵正統国師と勅諡された。宗風,学芸ともにもっぱら絶海の遺芳を受け継ぎ,五山文壇で重きをなした。著作に詩集《南游稿》1巻があり,書にすぐれ鄂隠様といわれた。
執筆者:今枝 愛真
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報