僧録(読み)ソウロク

デジタル大辞泉 「僧録」の意味・読み・例文・類語

そう‐ろく【僧録】

五山十刹じっせつ以下の禅宗寺院の管理と、その人事をつかさどった僧職。天授5=康暦元年(1379)足利義満により相国寺春屋妙葩しゅんおくみょうはが任じられて以来、代々鹿苑院の院主が任じられ、江戸初期に南禅寺金地院の院主に職権が移った。僧録司

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「僧録」の意味・読み・例文・類語

そう‐ろく【僧録】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 中国で僧尼の登録や任免を管掌した官職、役所。五胡十六国の後秦時代に始まり、唐代には祠部に属したが、宋代に独立して左右街僧録司、明代に僧録司と称し、僧尼や寺院を統轄した。中国を模倣して、朝鮮でも高麗時代に設けられた。
    1. [初出の実例]「従者録許清書送、可付名者、加名進奏了、僧録志丁寧人也」(出典:参天台五台山記(1072‐73)七)
    2. [その他の文献]〔六一詩話〕
  3. 室町中期~江戸時代の禅宗寺院の統率機関。住持推挙・寺領訴訟の処置などの庶務をつかさどる所。初期の禅律方の後をうけるもの。康暦元年(一三七九)将軍足利義満が中国の制にならって春屋妙葩(しゅんおくみょうは)を任じたのに始まる。やがて業務は相国寺塔頭の鹿苑院(ろくおんいん)院主が兼帯するようになったので鹿苑僧録ともよばれる。元和元年(一六一五)七月鹿苑僧録は廃され、同五年九月以後徳川家康崇敬を得た以心崇伝の住した南禅寺金地院(こんちいん)院主が僧録に任ぜられて金地僧録が成立した。僧録司。
    1. [初出の実例]「天下僧祿〈禅家〉事、殊為仏法紹隆申也」(出典:鹿王院文書‐康暦元年(1379)一〇月一〇日・将軍足利義満御判御教書)
  4. 一般に寺院を統轄し、人事をつかさどる僧職名。また、その事務を執る所。
    1. [初出の実例]「浄願寺は、美濃一円真言宗の僧録であった」(出典:恩讐の彼方に(1919)〈菊池寛〉三)
  5. 僧の伝記
    1. [初出の実例]「僧録之興基由此焉」(出典:円照上人行状(1302))

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「僧録」の意味・わかりやすい解説

僧録 (そうろく)

僧事をつかさどる職。もと中国後秦時代にその名称があらわれ,唐・宋時代は左右両街僧録,明時代には僧録司の制度があった。日本には室町時代以降,禅宗寺院,禅僧を管理・統轄する役職としてとりいれられた。将軍足利義満が1379年(天授5・康暦1)10月に相国寺の禅僧春屋妙葩(しゆんおくみようは)を任命し,五山官寺制度の最高管理職としたのにはじまる。五山・十刹・諸山官寺の住持任免,位階昇進,寺領与奪や外交文書の作成などを職務とした。代々の僧録は相国寺塔頭(たつちゆう)鹿苑(ろくおん)院主が兼務したことで〈鹿苑僧録〉と通称され,将軍足利義教のころから,その職務の実権は蔭涼(いんりよう)職に握られたが,1615年(元和1)徳川家康が廃止するまで,250年余存続し,50余代を数えた。歴代のうち,一山派の仁如集尭以外はすべて夢窓派の禅僧がつかさどった。近世期には,1619年金地(こんち)院の以心崇伝が僧録となり〈金地僧録〉と称し,明治維新まで存続したが,1635年(寛永12)寺社奉行が設置されたのちは名目的な存在となった。僧録は五山官寺に入らなかった曹洞宗でも独自に置かれ,応安年間(1368-75)には通幻寂霊(つうげんじやくれい)がその任につき,近世には関三刹が関東僧録として幕府から任命された。また禅宗以外では,真言宗新義派に置かれ,元禄期には護持院の僧隆光が僧録となったことがある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「僧録」の意味・わかりやすい解説

僧録
そうろく

官命により僧尼の登録や任免など、僧衆の管理にあたる僧官のこと。同様の職掌に僧正(そうじょう)や僧綱(そうごう)があるが、僧録はおもに禅宗における呼称。中国では後秦(こうしん)のころにこの名称があるが、唐代の802年に端甫(たんぽ)が初めて任じられ、明(みん)代にもその制があった。日本では、1379年(天授5・康暦1)相国(しょうこく)寺の春屋妙葩(しゅんおくみょうは)が足利義満(あしかがよしみつ)に命ぜられ、代々鹿苑院(ろくおんいん)(義満の修禅道場)の院主がこの職に任じられ、1615年(元和1)の以心崇伝(いしんすうでん)に至るまで存続した。曹洞(そうとう)宗では、応安(おうあん)年間(1368~75)に丹波(たんば)(京都府)永沢(ようたく)寺の通幻寂霊(つうげんじゃくれい)が任じられたのが初めで、近世では、幕命により下総(しもうさ)(千葉県)総寧(そうねい)寺、武蔵(むさし)(埼玉県)竜穏(りゅうおん)寺、下野(しもつけ)(栃木県)大中(だいちゅう)寺の各住職が天下大僧録に、遠江(とおとうみ)(静岡県)可睡斎(かすいさい)の住職が東海道大僧録に任じられ、全国に僧録頭(そうろくがしら)、録所(ろくしょ)寺院を配置して一宗を管掌した。また近世では新義真言(しんごん)宗にも僧録があった。

[石川力山]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

山川 日本史小辞典 改訂新版 「僧録」の解説

僧録
そうろく

禅院の僧事を統轄する僧職。1379年(康暦元・天授5)春屋妙葩(しゅんおくみょうは)が任じられたのが最初で,以後,五山派寺院の統制機関として機能した。相国寺に鹿苑院ができて以降,その塔主が僧録を兼ねたので鹿苑僧録ともよばれた。同寺内の蔭涼軒の副僧録の補佐をうけて権勢をふるったが,室町時代に形骸化,1615年(元和元)に廃止された。その後,南禅寺金地院(こんちいん)の以心崇伝(いしんすうでん)が任じられ,以後同院塔主が江戸末期まで勤めた。僧録,または僧録の役所を僧録司ともいった。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「僧録」の意味・わかりやすい解説

僧録
そうろく

僧事を司る官職をもつ僧で,中国,後秦時代に設置されたもの。日本では室町時代に禅宗にこの職がおかれた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android