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花園天皇 はなぞの てんのう

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美術人名辞典の解説

花園天皇

第九十五代天皇。伏見天皇の第三皇子、母は洞院実雄の娘顕親門院季子。御名は富仁。正安三年親王の宣下を蒙り、後二条天皇皇太子となる。のち践祚し即位。在位11年にして後醍醐天皇へ譲位し、薙髪して遍行と号する。学問・和歌に秀で、日記『花園院宸記』四七巻には学芸に関する記事が多い。正平3年(1348)崩御、52才。

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デジタル大辞泉の解説

はなぞの‐てんのう〔‐テンワウ〕【花園天皇】

[1297~1348]第95代天皇。在位1308~1318。伏見天皇の第3皇子。名は富仁。両統迭立(てつりつ)時代に持明院統にあり、大覚寺統後醍醐天皇に譲位。和漢の学に通じ、「風雅和歌集」の撰者でもある。日記「花園天皇宸記」。

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百科事典マイペディアの解説

花園天皇【はなぞのてんのう】

鎌倉末期の天皇。伏見天皇第3子。当時は両統迭立(てつりつ)時代で,天皇は持明院統であったが,皇位争いに対して常に公正の態度を持した。和歌をよくし《風雅和歌集》を監修。
→関連項目玉葉和歌集豪信後伏見天皇二条為世似絵鑁阿寺

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

花園天皇 はなぞのてんのう

1297-1348 鎌倉時代,第95代天皇。在位1308-18。
永仁(えいにん)5年7月25日生まれ。伏見天皇の皇子。母は藤原季子(顕親門院)。後伏見天皇の異母弟。大覚寺統の後二条天皇のあと即位。持明院統。在位中は父,つづいて兄が院政をおこなう。鎌倉幕府の大覚寺統と持明院統の迭立(てつりつ)案(文保(ぶんぽう)の和談)は不調におわるが,大覚寺統の後醍醐(ごだいご)天皇に譲位した。貞和(じょうわ)4=正平(しょうへい)3年11月11日死去。52歳。墓所は十楽院上陵(じゅうらくいんのうえのみささぎ)(京都市東山区)。諱(いみな)は富仁(とみひと)。法名は遍行。別名に萩原院。著作に「誡太子書」,日記に「花園院宸記(しんき)」。
【格言など】徳なくて上に立つことを恥じよ(「誡太子書」)

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世界大百科事典 第2版の解説

はなぞのてんのう【花園天皇】

1297‐1348(永仁5‐正平3∥貞和4)
第95代に数えられる天皇。在位1308‐18年。伏見天皇の第3子,母は洞院実雄の女顕親門院藤原季子。名は富仁。大覚寺統持明院統のきびしい対立の中で,1301年(正安3)大覚寺統後二条天皇のあとをうけるべき持明院統側の人として,急遽,親王とされ,兄後伏見上皇の猶子になり,皇太子に立つ。08年(延慶1)後二条の死とともに即位。その皇太子は9歳年長の尊治(後醍醐天皇)であった。諸社の嗷訴,異国襲来の恐怖など鎌倉末期の不安定な社会情勢の中で,伏見の院政の下にあって,きまじめな花園は災いの責任をみずからの不徳に帰しつつ古典の読書に励んでいるが,京極為兼の失脚,伏見と後伏見の対立,伏見の死など,持明院統の退潮とともに18年(文保2)退位,後醍醐に譲位した。

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大辞林 第三版の解説

はなぞのてんのう【花園天皇】

1297~1348) 第九五代天皇(在位1308~1318)。名は富仁とみひと。伏見天皇の皇子。持明院統。大覚寺統の後醍醐天皇に譲位。日記「花園天皇宸記」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

花園天皇
はなぞのてんのう

[生]永仁5(1297).7.25. 京都
[没]正平3=貞和4(1348).11.11. 京都
第 95代の天皇 (在位 1308~18) 。名,富仁。法名,遍行。伏見天皇の第2皇子。母は左大臣実雄の娘,顕親門院藤原季子。徳治3 (08) 年8月践祚,延慶1 (08) 年 11月即位。持明院統であったが,公正な態度を持し,文保2 (18) 年大覚寺統の後醍醐天皇に譲位して太上天皇の尊号を受けた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

花園天皇
はなぞのてんのう
(1297―1348)

鎌倉末期の天皇(在位1308~18)。伏見(ふしみ)天皇第三皇子。母は藤原季子(顕親門院)。名は富仁(とみひと)。大覚寺(だいかくじ)統・持明院(じみょういん)統の厳しい対立のなかで、兄の後伏見(ごふしみ)天皇の猶子(ゆうし)となり、1301年(正安3)8月皇太子にたち、08年(延慶1)8月践祚(せんそ)、同11月に即位する。在位11年目の18年(文保2)2月に位を大覚寺統の後醍醐(ごだいご)天皇に譲り、太上(だいじょう)天皇となる。35年(建武2)11月、薙髪(ちはつ)して萩原殿に居す。法名遍行。正平(しょうへい)3年11月11日没。両統迭立(てつりつ)の案、いわゆる文保(ぶんぽう)の和談は治世中の文保元年(1317)4月のことである。
 天皇は幼少より学問を好み、歴代天皇の記録や和漢の史書、老荘をはじめ諸子百家にわたって読破したことがその日記にみえる。詩歌を好み『風雅(ふうが)集』を自ら撰(えら)んでいる。また宋(そう)学をよくし、つねに公卿(くぎょう)や近臣を集めて学を講論させ批評指導にあたった。これによって、強識博聞のみを誇る弊風を改め、道の行われんことを期していた。『学道之記』『誡太子書』など王道を説いた著作がある。仏教に通暁し、念仏宗や禅宗に卓見を示したが、とくに禅にひかれ宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)に法を問い、興禅大燈(だいとう)国師の号を与えた。1337年(延元2)には萩原殿を寄進し、妙超の法嗣(はっす)の関山慧玄(かんざんえげん)を開山として妙心寺を開建した。陵墓は京都十楽院上陵。なお天皇の日記は、歴史上重要な記事を多く含む貴重な史料である。[田中博美]

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世界大百科事典内の花園天皇の言及

【花園天皇日記】より

花園天皇の日記。《花園院宸記》ともいう。…

【風雅和歌集】より

…17番目の勅撰和歌集。略して《風雅集》ともいう。花園上皇の監修,光厳上皇の撰により,北朝の貞和5年(1349)に成る。真名(まな)序,仮名序,春歌(上・中・下),夏歌,秋歌(上・中・下),冬歌,旅歌,恋歌(1~5),雑歌(上・中・下),釈教歌,神祇歌,賀歌の20巻,約2200首を収める。皇室が持明院統と大覚寺統の2流に分かれて皇位を争った鎌倉時代中期以降,定家―為家と継承された〈歌の家〉御子左家(みこひだりけ)も分裂し,二条家が大覚寺統,京極家が持明院統について,勅撰集撰者の地位を争うようになった。…

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