日本歴史地名大系 「酒呑城跡」の解説 酒呑城跡しやちのみじようあと 愛知県:豊田市松平地区酒呑村酒呑城跡[現在地名]豊田市幸海町 池ノ杁山麓の小丘上にあり、石垣のみ残る。付近に関屋(せきや)の地名がある。文明年中(一四六九―八七)矢並(やなみ)郷から鈴木重時が移り住み、酒呑鈴木氏初代となる。二代帯刀重興は祐源(ゆうげん)寺に葬られる。三代次郎左衛門重信の時から代々家康に仕え、重信の妻は清康・広忠・家康に仕えて「酒呑」とよばれた。四代重政は、「三河志」に「三郎右衛門於猿投山麓戦死す 三十二歳 法名祐泉」とあり、永禄二年(一五五九)甲州勢に討たれると、鈴木家は三つに分立。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by