采女町
うねめちよう
[現在地名]中央区銀座五丁目
明治二年(一八六九)木挽町続氷川屋敷と芝西応寺町代地が合併して成立。同五年東方の旧越前敦賀藩松平氏屋敷などの旧武家地を合併、町域の東を築地堀端まで拡張した。南東端で築地堀に架かる二ノ橋は采女橋ともよばれた。町名は同所一帯が采女が原とよばれていたことに由来する。采女が原の名は享保九年(一七二四)まで伊予今治藩松平(久松松平)采女正の屋敷があったことにちなむ(御府内備考)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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