日本歴史地名大系 「里公文上村」の解説 里公文上村さとくもんかみむら 岡山県:久米郡久米町里公文上村[現在地名]久米町里公文上東は里公文中村、南は油木北(ゆききた)村、西は休乢(やすみだわ)から幻住寺(げんじゆうじ)山にかけて四〇〇―五〇〇メートルの山脈が走り、その山間高地にある。通称は公文上という。もと公文村・里公文村で、延享四年(一七四七)上・中・下に分村した。天保郷帳に里公文上村二〇一石余とある。領主の変遷は桑下(くわしも)村と同じ。鶴田藩立藩による藩士の分住は五家族であった(浜田町史)。「作陽誌」に円宗寺(えんじゆうじ)山が記され、幻住寺山に近く、樹林うっそうと茂り、往時毛利左近亮の居城があったが、天正年間(一五七三―九二)苫西(とまにし)郡目崎(めさき)城(現苫田郡鏡野町)城主と戦って敗死したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by