デジタル大辞泉 「石仏」の意味・読み・例文・類語
いし‐ぼとけ【石仏】
2 感情を動かさない人。また、非常に口数の少ない人。「
石に彫刻した仏像の総称。独立した石塊を彫り上げた石仏、岩壁に刻まれた磨崖(まがい)仏(摩崖仏)、石窟(せっくつ)内の壁面に彫られた石窟仏の3種がある。また彫出しの状態から、線刻、薄肉(うすにく)彫り(レリーフ)、光背をも一石から彫り出したりする浮彫り(半肉彫りや側面まで露出した高肉彫り)、背面まで彫り上げた丸彫りなどに分けられる。
石仏は東洋各地に遺例があり、インドでは仏教彫刻の始まった紀元前後からつくられている。西北インド(現在のパキスタン)のガンダーラ地方では青黒い片岩(へんがん)を用いてギリシア・ローマ彫刻の流れをくむ石仏がつくられ、中央インドのマトゥラでは赤色砂岩(マトゥラ石)で古代インド彫刻の伝統を継いだ石仏が5世紀ごろまで続いた。また2~4世紀の南インドのアマラバティでは、大理石造の躍動的な独立像が多くつくられた。アフガニスタンには、5世紀ごろの制作になるバーミアン石窟の像高55メートルと38メートルの大石仏があったが、2001年タリバン政権によって2体とも破壊され、失われた。中央アジアでは良質の石がないためもあって石仏はほとんどないが、東南アジアでは7~11世紀のグプタ様式の石仏や、8~9世紀のジャワのボロブドゥール遺跡の石仏が著名である。
[佐藤昭夫]
中国では彫刻に適した砂岩や大理石などの石材にも恵まれ、仏教伝来以来、石窟寺院内に大規模な石仏群が多数つくられた。なかでも北魏(ほくぎ)の都であった大同の近くの雲崗(うんこう)石窟のうち、もっとも古い(460ごろ)曇曜(どんよう)五窟の像はバーミアンに次ぐ巨像で、その表現にインドや中央アジアの影響がみられる。雲崗では494年の北魏の洛陽(らくよう)遷都までの間に、大きなものだけで数十に及ぶ石窟が造営されたが、以後唐代までに洛陽に近い竜門をはじめ、麦積山(ばくせきざん)、響堂山、天竜山などに次々と大石窟が開かれた。7世紀なかばの唐の高宗の建造になる竜門石窟奉先寺洞(ほうせんじどう)の盧遮那(るしゃな)仏は、唐代最大の像である。独立した石仏では河北の白玉(白大理石)、西安(せいあん)付近の黄華石(黄緑色の石灰岩)の像などがあるが、これらは都市などの平地に建てられた木造寺院の像として用いられている。
朝鮮では花崗(かこう)岩にも恵まれて各時代に磨崖仏や独立石仏がつくられたが、百済(くだら)の遺品として忠清南道瑞山市雲山面の磨崖仏、新羅(しらぎ)の遺品として慶州南山長倉谷の菩薩(ぼさつ)立像(ともに7世紀前半ごろ)、石室構造をもつ慶州石窟庵(あん)の諸像(8世紀なかば)が著名である。
[佐藤昭夫]
石仏ではないが古代信仰に基づくものと考えられる亀石、二面石、石神、須弥山(しゅみせん)石、猿石、さらに奈良県高取町光永寺の人頭石などの怪異な石造遺物が飛鳥(あすか)地方を中心にみられるが、石仏としては、その制作に適した石材が乏しいせいもあって作例は少ない。日本の石仏最古の遺品とされる奈良石位(いしい)寺の三尊像(7世紀)は、一石の半面を用い、方座に倚座(いざ)した中尊と立像の両脇侍(わきじ)を彫り出した表情の愛らしい像である。兵庫県の古法華(こぼっけ)三尊も7世紀ごろの作とみられる半肉彫りの石仏だが、古代の石仏の多くは凝灰岩でつくられたため、石肌には独特の美しさがあるが耐久性に欠け損傷もひどい。奈良時代に東大寺の開山良弁(ろうべん)によってつくられたとされる奈良頭塔(ずとう)石仏群は、いかにも奈良時代風の豊麗さをもつ浮彫りで、階段ピラミッド形の墳丘の周りに花崗岩の一石彫りの像をいくつも配置している。またこのころには石製層塔の基部に石仏を彫り出したものや、岩窟内の壁面に浮彫りした例もある。
平安前期の遺品としては奈良地獄谷の線彫りの像や滋賀県狛坂(こまさか)廃寺石仏があり、とくに狛坂磨崖仏は新羅との密接な関係が指摘されている。平安後期には北九州をはじめ各地で磨崖仏が制作された。阿蘇(あそ)山の溶岩を利用した大分・熊本地方は日本最大の宝庫であるが、大分県の臼杵(うすき)石仏はとくに著名で、中心になるホキ石仏の阿弥陀(あみだ)三尊は凝灰岩から丸彫りに近く彫り出された堂々たる体躯(たいく)の磨崖仏である。富山県日石寺(にっせきじ)の不動明王坐像は高さ3メートルに及ぶ薄肉彫りの像で、立山信仰との関係も考えられるが、大岩(おおいわ)不動として今日も尊崇されている。栃木県大谷寺(おおやじ)の石仏群(大谷磨崖仏)は凝灰岩(大谷石)に浮彫りし漆食(しっくい)(塑土(そど))で表面をつくった珍しいもので、なかでも4メートルの千手観音は壮観である。福島県大悲山(だいひざん)の石仏群(泉沢石仏)も摩損が著しいが注目される。
鎌倉時代には仏教が一般民衆のなかに深く溶け込んだ結果、ほかの材料よりも費用的に負担のかからない石仏の造立は急激に盛んになる。前代に引き続いて凝灰岩製の磨崖仏もつくられたが、規模も小形化して作品の質も劣ったものになったのに比し、技術的には向上して花崗岩や安山岩などの硬い石材が用いられるようになった。神奈川県の箱根石仏は安山岩系統の代表作の一つである。群馬県不動堂の不動明王像は建長(けんちょう)3年(1251)の銘をもつ丸彫り像であるが、上下の半身が別材からなる特異な造法をとっている。鎌倉浄光寺の正和(しょうわ)2年(1313)在銘の地蔵像も、鎌倉時代まではほとんどみられなかった丸彫り像である点が注目される。京都府の当尾(とうのお)石仏群、神奈川県九品(くほん)寺の浮彫り像なども、この時代の石仏として著名である。以後、石仏は花崗岩、安山岩、凝灰岩、砂岩など種々の石材を使って全国的に広がっていくが、室町時代以降は庶民信仰に基づく像が多作されながら形式化が進み、美術的に目だったものはない。江戸時代には五百羅漢の群像や、民間信仰的な地蔵、青面(しょうめん)金剛(あるいは庚申(こうしん)像)、馬頭観音像などが多数つくられている。
[佐藤昭夫]
『久野健著『ブック・オブ・ブックス日本の美術36 石仏』(1975・小学館)』▽『日本石仏協会編『続日本石仏図典』(1995・国書刊行会)』▽『日本石仏協会編『石仏巡り入門――見方・愉しみ方』(1997・大法輪閣)』▽『日本石仏協会編『石仏の楽しみ方』(1999・晶文社出版)』▽『石井進・水藤真監修『石仏と石塔』(2001・山川出版社)』
石造の仏像。彫刻される石の形状から,移動できる独立した石材に彫られた石仏,露出した岩層面に彫られた磨崖仏,岩層に窟をうがってその中に彫られた石窟仏の3種に大別される。彫出の状態からは,線刻,薄肉彫(レリーフ),半肉彫,高肉彫(側面をほとんど彫出したもの),丸彫に分けられる。石は彫刻用材として最も普遍的なものの一つであり,インド以来仏教の伝播にしたがって各地で盛んに製作された。
紀元前2~前1世紀ころからヤクシー,ヤクシャの丸彫石像やストゥーパの石製欄楯の浮彫などが作られていたが,クシャーナ朝の2世紀ころにガンダーラとマトゥラーで仏像の造顕が始まり,石仏の製作が始まった。前者では青灰色の片岩がおもに用いられ,独尊像や仏伝図の浮彫などが作られ,遺品も多く現存する(ガンダーラ美術)。後者では黄斑文のある赤色砂岩がおもに用いられ,カニシカ王3年銘のサールナート出土如来形立像などが遺品として著名である(マトゥラー美術)。これ以後,インド各地で石仏の製作が盛んとなり,仏像製作の主流となった。インド仏教美術の最盛期であるグプタ朝の5世紀には,製作年代の明らかな在銘像の遺品も多く,マトゥラー博物館のジャマールプル出土如来形立像などがよく知られている。この時代にはアジャンター,エローラなどに代表される仏教石窟寺院が多く作られた。8世紀以後のパーラ朝時代には,硬質の玄武岩を用いて複雑な図像の密教的な像などが多く作られ,この時代の石仏はネパール,チベット,東南アジアなどの仏像に大きな影響を与えた。
クシャーナ朝時代のガンダーラの石仏は西隣のアフガニスタンに影響を与え,カーブル北西のバーミヤーンには4~6世紀ころの製作と思われる像高55mと38mの大磨崖仏が現存する(この2体の石仏は2001年夏にイスラム原理主義を標榜する政治集団ターリバーンによって爆破された)。仏教の東漸にしたがい中央アジア諸地方でも仏像は多く作られたが,ここでは石材が少ないために塑像が主流で,石仏の遺品は少ない。東南アジアの石仏は南インドの影響が強く,タイのドバーラバティ美術(7~11世紀)の石仏はインドのグプタ様式を伝えており,ジャワのボロブドゥール遺跡(8~9世紀)には多数の石仏を安置する。
前漢以来,石人,石獣などのすぐれた石造墓飾彫刻が作られていたので,仏教伝来とともに石仏も製作されたと思われるが,最初期の遺品は知られていない。452年(興安1)に北魏の文成帝は帝身の石仏を作らせたといい(《魏書釈老志》),460年(和平1)には北魏の都,大同西郊の砂岩崖に僧曇曜の発願になる大規模な雲岡石窟が開かれた。494年(太和18)北魏は中原の洛陽に遷都したが,その近郊の石灰岩の崖には竜門石窟が開かれた。これらの石窟寺院の彫刻とともに単独像も多く作られ,6世紀東・西魏,北周,北斉では白玉(大理石),黄華石などの緻密な石材による小四面仏,龕(がん)像,碑像なども盛んに作られた。日本にある中国6世紀の遺品としては,535年(東魏の天平2)の弥勒三尊像(藤井有鄰館),552年(北斉の天保3)の菩薩形立像(東京国立博物館)などが著名。以後,隋,唐代を通じて中国の石仏の製作はきわめて盛んであった。
三国時代にすでに石仏が盛んに行われた。7世紀前半ころの百済の遺品として,忠清南道瑞山郡雲山面の磨崖仏,新羅の遺品として慶州南山長倉谷発見の菩薩形立像などが著名である。三国時代末期の7世紀後半から統一新羅時代にかけて,慶州南山には丸彫,磨崖など多くの石仏が作られ,8世紀半ばには石室構造をもった慶州石窟庵の諸像が作られた。統一新羅時代の石仏は金銅仏とともに彫刻の主流であり,その後高麗時代以後も形式化しながらも製作は続けられた。
《日本書紀》敏達13年(584)条に鹿深臣が百済から弥勒石仏を将来したとあり,これが記録上の初見であるが,飛鳥時代の石仏の遺品は知られていない。奈良時代の遺品に,奈良県石位寺三尊像(砂岩?,半肉彫),兵庫県加西市の古法華三尊像龕(凝灰岩,半肉彫),奈良市高畑町の頭塔(ずとう)(花コウ岩,薄肉彫。方墳状の土塔の四方に十数個の石仏を配する),奈良県宇智川磨崖仏(線刻)などが知られる。それらの作風は,当時の他の素材(金銅,木)による彫刻,絵画の作風にほぼ準じている。平安時代には石仏の製作は畿内以外の各地にも広がり,他の時代には見られない大規模な磨崖仏の製作が盛んに行われた。栃木県大谷磨崖仏(凝灰岩,高肉彫)は石彫の上に塑土を盛る珍しい技法を用いており,そのうちの一部はあるいは平安初期の製作かと考えられる。平安後期には大分県臼杵,熊野に代表される凝灰岩層を用いた磨崖仏が各地で行われた。またこの時代には紀年銘をもつ石仏も多く作られるようになり,長崎県壱岐出土の延久3年(1071)銘の弥勒如来像(滑石,丸彫)を初例とし,福岡県鎮国寺の元永2年(1119)銘の阿弥陀如来像(砂岩,薄肉彫),京都市今宮神社の天治2年(1125)銘をもつ四方石仏(砂岩,線刻)などがある。
鎌倉時代には前代に流行した凝灰岩製磨崖仏の製作は減り,かわって花コウ岩,安山岩など硬質の石材を用いた高肉彫,丸彫の像の製作が盛んになった。京都府石像寺の元仁元年(1224)銘の三尊像は,三尊を1石1体ずつ丸彫に近い高肉彫であらわし,この時代の石仏の傾向をよく示している。他に群馬県不動寺不動明王像(凝灰岩,丸彫)などがあり,大型の石室構造をもつものに奈良市十輪院石仏龕(花コウ岩)がある。またこの時代には東大寺の再建工事に参加した伊行末(いぎようまつ)に代表される宋人石工の活躍があり,伊行末の作品に般若寺十三重石塔初層四方石仏,石仏ではないが参考とすべきものに1196年(建久7)宋人石工字六郎作の東大寺南大門石獅子がある。南北朝時代以後になると石仏は全体的に小型のものが増え,その作風は同時代の木彫像と同様に形式化の道をたどった。この傾向は桃山,江戸時代にはいっそう進み,五百羅漢の群像や馬頭観音,地蔵など,多数の石仏や道祖神像が作られた。これらは民間信仰の史料として貴重である。
執筆者:副島 弘道
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…金銅仏にはモニュメンタルな作例がなく,ソウル澗松美術館の金銅三尊仏龕,霊塔寺の金銅三尊仏座像,長谷寺の金銅薬師如来座像,禅雲寺の金銅地蔵菩薩座像などが注目され,また,天暦3年(1330)銘の納入品をもつ日本の長崎県豊玉町観音寺の銅造観音菩薩座像や,至順2年(1331)銘の納入品をもつ韓国国立中央博物館の銅造観音菩薩立像など制作時期が明確なものもあるが,いずれも高麗時代末期の作品である。石仏は,法住寺の如来形倚像,安東泥川洞の阿弥陀如来像,大興寺北弥勒庵の如来形座像,北漢山旧基里の如来形座像などの磨崖仏,あるいは開泰寺址の如来三尊像,万福寺址の如来形立像,灌燭寺の菩薩形立像などの丸彫像などがあるが,いずれも様式的に類型的表現となっている。
[工芸]
まず1123年に徽宗の使として高麗を訪れた宋の徐競の《宣和奉使高麗図経》で評価された螺鈿(らでん)が注目できる。…
… これらの諸寺に安置されていた仏教彫刻には,記録によれば塑造や金銅造があったと知られるものの,現存作例は石造と金銅造が多い。石仏としては,6世紀後期の制作といわれる慶州西岳洞松花山麓から移した国立慶州博物館の半跏像,634年ごろの制作と考えられる芬皇寺石塔(模塼塔)仁王像,7世紀初期の拝里三尊像や644年ごろの制作と推定される三花嶺三尊像などが優品として注目される。いずれも白味の強い良質な花コウ岩を用材として,やわらかい造形感覚を示し,中国,隋代や唐代初期の仏教彫刻の影響をうけたものと考えられる。…
…露出した岩層面に彫刻(浮彫,線刻)された石仏。独立した石材に彫刻された石仏に対していい,また石窟をうがってその中に彫刻されたものを石窟仏と呼び,これと区別することがある。…
※「石仏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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