日本歴史地名大系 「久米郡」の解説
久米郡
くめぐん
県中央部に位置し、おもに吉井川とその支流の久米川・
久米川沿いをJR姫新線・国道一八一号・中国自動車道が東西に、皿川・誕生寺川沿いにJR津山線と国道五三号が南北に走る。また吉井川沿いに県道が南北に、久米南町
近世には
郡名は「続日本紀」和銅六年(七一三)四月三日条に初見。「延喜式」民部省・「和名抄」ともに久米郡とある。「和名抄」によれば、
久米郡
くめぐん
- 鳥取県:伯耆国
- 久米郡
〔古代〕
「和名抄」東急本国郡部には郡名に「国府」の注記を付し訓を欠く。出雲国計会帳(正倉院文書)によれば、天平五年(七三三)九月二四日の記事に「久米郡木工山守連伊等志」の名がみえる。貞観一二年(八七〇)一〇月二五日、伯耆国で飢餓と疫病による死者が多く出たため、久米郡など四郡は一年間庸・調・雑徭などの課役が免除された(三代実録)。「和名抄」には
〔中世〕
平安期以降郡内には
久米郡
くめぐん
- 愛媛県:伊予国
- 久米郡
「和名抄」所載の古代伊予国一四郡の一。流布本に「久米」と記し、訓を欠く。郡内の郷として高山寺本には
松山平野の東部に位置し古くから開発され、縄文中期から弥生時代の遺物・遺跡が多く発掘された。東は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報