久米町(読み)くめちよう

日本歴史地名大系 「久米町」の解説

久米町
くめちよう

面積:七四・八六平方キロ

久米郡北端に位置し、北・西・南の三方を標高五〇〇―六〇〇メートルの山に囲まれ、南は吉備高原の北辺部にあたる。吉井川支流の久米川宮部みやべ川・倭文しとり川流域に丘陵を縫って平野部が展開し、町の東端の久米川と吉井川の合流点付近から東にかけて津山平野と連続する。北は苫田とまた鏡野かがみの町、西は真庭まにわ落合おちあい町、南はあさひ町・中央ちゆうおう町、東は津山市に接する。町の中央部を東西に国道一八一号・JR姫新線・中国自動車道がほぼ並行して走り、交通の要衝である。町の中心は南方中みなみかたなかの俗に千代せんだいと称される地域である。

久米町
くめちよう

聚楽町じゆらくまちの北、大宮おおみや町の西に位置する。

豊臣秀吉による城下町造成にあたり、現在の御駕籠おかご町、鷹匠たかじよう町、紺屋こんや町の付近にあたる久米村の人々は、強制的に移住させられ、その後新たにこの地へ移住した人々が旧居住地にちなんで久米町と名付けたと伝える(京都府地誌)

久米村は、もともと低湿地帯にあり、白菊しらぎく井という名水をもつ金札きんさつ宮を中心にして、御香ごこう宮を中心とする石井いしい村とともに、伏見のなかでも最も発達した村の一つであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報