日本歴史地名大系 「重岡村」の解説 重岡村しげおかむら 大分県:南海部郡宇目町重岡村[現在地名]宇目町重岡 重岡市園(いちぞの)村の南、市園川左岸に位置。岡(おか)城(現竹田市)から日向への道程上で、一一里目の一里杭があった(「宇目梓山覚書」中川家文書)。また南下して赤松(あかまつ)峠越で宗太郎(そうたろう)(総太郎)への道がある。正保郷帳に村名がみえ、田高四九石余・畑高三一石余、宇目郷に属した。旧高旧領取調帳では高一七九石余。寛政八年(一七九六)には重岡組に属し、村位は上、免六ツ九分(「高反別物成品々書抜帳」県立大分図書館蔵)。慶長五年(一六〇〇)臼杵(うすき)城攻めの功により宇目郷割元に任じられ、当村から上河尻(かみかわじり)村に移住していた渡辺氏は万治二年(一六五九)重岡組が成立した際、同組二千石の千石庄屋(のち大庄屋)に任じられ当村に帰住。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by