重柳村
しげやなぎむら
[現在地名]豊科町大字南穂高 重柳
梓川扇状地の末端、除沢川と中曾根川との合流点にある。初見は明応一〇年(一五〇一)の三宮穂高社御造宮定日記(穂高神社蔵)で、重柳・針俣両郷で御柱一本を所役している。重柳は低湿地を示す地名であるが、村内小字にあわだ・沼田・ふけ田・あわら・穴田・花見・柳田・林・下林など犀川の旧河床に開墾した地名や低湿地帯の地名が多くみられる。
江戸時代には砂質壌土の土地を利用して、梨・薄荷がつくられている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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