野々美谷村(読み)ののみたにむら

日本歴史地名大系 「野々美谷村」の解説

野々美谷村
ののみたにむら

[現在地名]都城市野々美谷町

丸谷まるたに村の南にあり、南境を大淀川北東へ流れ、中央をその支流野々美谷川が東流している。古くは野々三谷・野乃見谷とも記され、地元では「ののんたん」とよぶ。南部大淀川河畔近くの台地上に野々美谷城跡、その南にふもと集落がある。

城の築かれた時期や築城主は不明だが、延文四年(一三五九)頃に南下してきた肥後相良氏領となり(「島津氏久譜」旧記雑録)、明徳五年(応永元年、一三九四)同氏を追った北郷氏から樺山氏に与えられた(「北郷久秀譜」同書など)。同年八月一五日の島津元久宛行状(樺山文書)によれば、樺山音久は給分として「北郷北方内後交村椎屋跡」と「野々三谷寺社」両所の水田五町を与えられている。さらに南北朝―室町期とみられる年未詳四月二〇日の和田正直書状(禰寝文書)には、禰寝氏使者が野々美谷から帰ったことが伝達されている。樺山氏は大永元年(一五二一)大隅国堅利かたしり(現鹿児島県隼人町)へ移り(「樺山長久譜」旧記雑録)、野々美谷は北郷氏領となった(島津国史)。だがその後野々美谷城をめぐる合戦が繰返され、城と当地の支配は北原氏・伊東氏と移り替り、天文一一年(一五四二)野々美谷城を攻略した北郷氏領に復した(「北郷忠相譜」旧記雑録など)。天正年間(一五七三―九二)に通用した日向国五郡分帳には「野々深谷」三〇町が記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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