日本歴史地名大系 「野々美谷村」の解説
野々美谷村
ののみたにむら
- 宮崎県:都城市
- 野々美谷村
城の築かれた時期や築城主は不明だが、延文四年(一三五九)頃に南下してきた肥後相良氏領となり(「島津氏久譜」旧記雑録)、明徳五年(応永元年、一三九四)同氏を追った北郷氏から樺山氏に与えられた(「北郷久秀譜」同書など)。同年八月一五日の島津元久宛行状(樺山文書)によれば、樺山音久は給分として「北郷北方内後交村椎屋跡」と「野々三谷寺社」両所の水田五町を与えられている。さらに南北朝―室町期とみられる年未詳四月二〇日の和田正直書状(禰寝文書)には、禰寝氏の使者が野々美谷から帰ったことが伝達されている。樺山氏は大永元年(一五二一)大隅国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報