日本歴史地名大系 「金田村」の解説
金田村
かなたむら
- 大阪府:堺市
- 金田村
金田村
こんだむら
北は
とある。元禄一二年(一六九九)土浦藩領となり(土浦市史)、元禄郷帳の村高は六八八石余。「県方集覧」(酒井泉氏蔵)に「家数六拾八軒、人数三百七拾七人、外社家僧医師夷家内三拾人、馬弐拾七疋」とある。
金田村
かねたむら
金田村
かなだむら
- 宮崎県:都城市
- 金田村
江戸時代には五口六外城の野々美谷郷に属した。慶長二〇年(一六一五)の知行目録(都城島津家文書)に村名がみえ、高二五九石余。諸役御免の加増分三千石のうちに金田村之内二四七石余、北郷宮千代分三千石のうちに金田村之内四九四石余がみえる。元和六年(一六二〇)の知行目録(同文書)では金田村之内高二一四石余のみ記され、明暦元年(一六五五)の知行目録(同文書)では下金田村高一七一石余(うち一三石余が承応三年竿入新仕明并畠田ニ成増高籠分)、上金田村高五六五石余(うち五石余が同分)が記される。
金田村
かなだむら
金田村
かねだむら
- 神奈川県:厚木市
- 金田村
東を相模川、西を
近世は、天正一九年(一五九一)頃に旗本領の二給となり、元禄一四年(一七〇一)に幕府・旗本領となるが、宝永三年(一七〇六)再び旗本領の二給に復した。
金田村
かんだむら
金田村
きんでむら
金田村
きんだむら
- 大阪府:守口市
- 金田村
金田村
かねだむら
- 埼玉県:坂戸市
- 金田村
金田村
かねだむら
- 神奈川県:三浦市
- 金田村
延宝三年(一六七五)松輪村との境にある共有の秣場をめぐり争いがあり、その後海上へも向けられ、漁場争論となった(元禄八年「証文之事」藤平文書)。
金田村
かねだむら
金田村
かなだむら
金田村
かねだむら
金田村
きんたむら
金田村
かなだむら
- 愛知県:豊橋市
- 金田村
石巻山の南麓の村。近世を通じて吉田藩領。三河国吉田領人馬役割帳(島原市本光寺蔵)に載る慶長九年(一六〇四)の検地では、高五〇五石余うち石巻大明神領二石である。享保一〇年(一七二五)の二川宿助郷帳(橋良文庫蔵)によると、村高五七四石のうち助郷高四二八石で、
金田村
かねだむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報