朝日日本歴史人物事典 「野中金右衛門」の解説
野中金右衛門
生年:明和5(1768)
江戸中・後期,日向国(宮崎県)飫肥藩士。諱は信宜。城下板敷村(日南市)に生まれ,寛政8(1796)年から50年にわたって植木方として指導に当たり,植林の推進,杉苗の品種改良に尽くした。飫肥藩での財政上の植林の始期は元和9(1623)年とされ,次いで宝暦・天明年間(1751~89)の植林があり,寛政1(1789)年には,石那田実右衛門が,天明飢饉の際の藩の救済に報いるとして,5年がかりで10万本の苗木を植えて,藩主に献上している。このような業績に沿って,金右衛門の植林指導も行われた。文政7,8(1824,25)年の藩をあげての一大植林では,8年のものだけでも3カ所,挿杉40万本におよんだ。生年については宝暦11(1761)年説もある。<参考文献>浅野茂夫他『飫肥杉の歴史』,塩谷勉他『飫肥林業発達史』
(永井哲雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報