国指定史跡ガイド 「野口王墓古墳」の解説
のぐちおうぼこふん【野口王墓古墳】
奈良県高市郡明日香(あすか)村野口にある古墳。宮内庁によって天武(てんむ)・持統(じとう)合葬陵に治定(じじょう)されており、陵墓名は檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)。墳丘は八角形で、東西約58m、南北約45m、高さは9m。5段築成で周囲に石壇がめぐらされ、切り石積みの石室が2室あり、天武天皇の棺と持統天皇の骨蔵器が納められているという。『日本書紀』などには688年(持統天皇2)に天武天皇が「大内陵」に埋葬され、703年(大宝3)、前年に亡くなった持統天皇が火葬されたのち合葬されたと記されている。1235年(文暦2)に盗掘にあい、管理が不十分な状態にあったようで、江戸時代には見瀬丸山古墳(奈良県橿原市)を合葬陵とする見方があらわれた。その混乱は明治時代まで続いたが、現在では天武・持統天皇合葬陵として治定されている。近畿日本鉄道吉野線飛鳥駅から徒歩約12分。