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持統天皇 じとうてんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

持統天皇
じとうてんのう

[生]大化1(645)
[没]大宝2(702).12.22. 大和
第 41代の天皇,女帝 (在位 690~697) 。名は高天原広野姫尊 (たかまのはらひろぬひめのみこと) ,幼名はう野讃良 (うののさらら) 。天智天皇の第2皇女,母は蘇我遠智娘 (おちのいらつめ) 。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

持統天皇

645~702年。中大兄皇子(天智天皇)の娘に生まれ、天武天皇の皇后として、そしてその死後は690~697年、自ら皇位に就いて律令制の整備や藤原京の建設を進めた女帝。幼名は鵜野讃良皇女〈うののさららのひめみこ〉。 <天上の虹> 1983年に講談社少女漫画雑誌「mimi DX」で連載が始まった。掲載誌の休刊後は書き下ろしとして同社から単行本を刊行。今年3月、持統の東国への視察旅行とその死を描いた23巻で完結した。累計出版部数は、新書判の単行本と文庫本(既刊10巻)合わせて460万部以上。

(2015-04-16 朝日新聞 朝刊 文化文芸)

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デジタル大辞泉の解説

じとう‐てんのう〔ヂトウテンワウ〕【持統天皇】

[645~702]第41代の天皇。在位686~697。天智天皇の第2皇女。名は鸕野讚良(うののさらら)。天武天皇の皇后となり、天皇の死後政務を執った。皇太子草壁皇子の死後、飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)で即位。のち、藤原京に遷都。文武天皇に譲位後、太上天皇として政務を補佐した。

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百科事典マイペディアの解説

持統天皇【じとうてんのう】

古代の天皇。天智(てんじ)天皇の皇女で幼名は【う】野讃良(うののさらら)。大海人(おおあま)皇子(のち天武天皇)と結婚し壬申(じんしん)の乱後,皇后となった。686年の天武天皇の死後,政事を行い(称制(しょうせい)),子の草壁(くさかべ)皇子を即位させるため腹ちがいの子大津皇子を処刑したが,草壁皇子の死により690年即位。
→関連項目赤坂大王柿本人麻呂庚寅年藉称制高安城吉野宮

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

持統天皇 じとうてんのう

645-703* 飛鳥(あすか)時代,第41代天皇。在位690-697。
大化(たいか)元年生まれ。天智(てんじ)天皇の第2皇女。母は蘇我遠智娘(そがの-おちのいらつめ)。天武天皇の皇后。天武の死後,即位せずに政務をとり(称制),4年後に即位。夫の遺業をついで,飛鳥浄御原令(きよみはらりょう)の実施徹底をはかり,藤原京を造営してあたらしい都とした。大宝(たいほう)2年12月22日死去。58歳。墓所は檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)(奈良県明日香村),天武天皇と合葬。諱(いみな)は鸕野讃良(うののさらら)。別名は高天原広野姫天皇(たかまのはらひろのひめのすめらみこと),大倭根子天之広野日女尊(おおやまとねこあめのひろのひめのみこと),倭根子天皇。
【格言など】春過ぎて夏来にけらし白妙(しろたへ)の衣干すてふ天(あま)の香具山(かぐやま)(「小倉百人一首」)

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世界大百科事典 第2版の解説

じとうてんのう【持統天皇】

645‐702(大化1‐大宝2)
第41代にかぞえられる天皇。称制686‐689年,在位690‐697年。鸕(菟)野讃良(沙羅々)(うののさらら)皇女。諡(おくりな)は高天原広野姫(たかまのはらひろのひめ)または大倭根子天之広野日女(やまとねこあまのひろのひめ)という。天智天皇の皇女,母は蘇我石川麻呂の女遠智娘。大化改新の開始の年に生まれ,657年(斉明3)13歳で父の弟大海人(おおあま)皇子と結婚する。国内では父の中大兄皇子(のち天智天皇)を中心に律令体制の成立が急がれていたが,国外では強大な唐の勢力の圧迫により,朝鮮半島の情勢が緊迫していた。

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大辞林 第三版の解説

じとうてんのう【持統天皇】

645~702) 日本書紀で第四一代天皇の漢風諡号しごう。天智天皇の第二皇女。名は鸕野讃良うののさらら。和風諡号は高天原広野姫たかまのはらひろのひめ。天武天皇の皇后。天皇の死後、政務に携わり、皇太子草壁皇子の病死で即位。697年、文武天皇に譲位後は太上天皇として政務をみる。都は藤原宮。万葉集に歌を収める。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

持統天皇
じとうてんのう
(645―702)

白鳳(はくほう)時代の天皇。第41代に数えられる(称制686~689、在位690~697)。野讃良(うののさらら)皇女といい、諡(おくりな)は高天原広野姫(たかまのはらひろのひめ)または大倭根子天之広野日女(やまとねこあまのひろのひめ)という。父は天智(てんじ)天皇、母は蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだいしかわまろ)の女(むすめ)遠智娘(おちのいらつめ)。父の弟大海人(おおあま)皇子の妃となる。大海人は天智天皇の皇太子の地位についたが、天智の晩年に意思の疎通を欠き、671年(天智天皇10)朝廷を去って吉野山に入り、持統もこれに従った。天智の没後、持統の異母弟の大友皇子が天智の後を継いだが、大海人は672年壬申(じんしん)の乱を起こし、大友(弘文(こうぶん)天皇)を倒して皇位につき、天武(てんむ)天皇となり、飛鳥浄御原(あすかきよみはら)に都を定め持統を皇后とした。持統は天武の政治を補佐し、686年の天武の死後は皇太子草壁(くさかべ)皇子を助け、689年(持統天皇3)に草壁が没したのち、飛鳥浄御原令(りょう)を施行、ついで690年正式に即位し、諸制度を整備して、律令国家の確立に努め、藤原京を建設して694年に遷都した。697年に皇位を孫の文武(もんむ)天皇に譲るが、太上(だいじょう)天皇として文武の政治を助け、大宝律令の成った701年(大宝1)の翌年に没し、天武の檜隈大内(ひのくまのおおうち)陵(奈良県明日香(あすか)村に治定)に合葬された。『万葉集』に歌6首がある。[直木孝次郎]
『直木孝次郎著『持統天皇』(1960・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の持統天皇の言及

【火葬】より

…主として僧侶により採用された葬法であり,記録では《続日本紀》文武4年(700)条にある元興寺の僧道昭の火葬を初めとするが,6,7世紀の火葬墓が発見されたり,《万葉集》に火葬を詠んだ挽歌がみられることなどから,僧侶だけに限られず,またその起源もさらにさかのぼるようである。702年(大宝2)持統天皇が飛鳥岡に火葬され,天皇火葬の初例となった。文武,元明,元正の3天皇も火葬にされ,奈良時代には貴族,僧侶の火葬が普及したが,庶民のあいだでは一般的でなかった。…

【吉野宮】より

…《古事記》《日本書紀》によれば,応神・雄略朝に吉野宮に行幸した記事がみえるが,確実には656年(斉明2)に造営されたとみるべきだろう。壬申の乱の勃発前夜に大海人皇子(後の天武天皇)は半年余吉野宮に隠栖していたし,679年(天武8)5月5日に天武天皇は皇后(後の持統天皇)や草壁皇子以下の6皇子と,吉野宮で有名な誓約を行っている。持統天皇は在位中に31回にわたり吉野宮に行幸した。…

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