野崎丹斐太郎(読み)ノザキ ニイタロウ

20世紀日本人名事典 「野崎丹斐太郎」の解説

野崎 丹斐太郎
ノザキ ニイタロウ

昭和期の実業家 内海塩業株式会社社長。



生年
明治25(1892)年4月18日

没年
昭和51(1976)年9月8日

出生地
岡山県児島郡味野村(現・倉敷市)

学歴〔年〕
京都帝国大学文科大学卒

経歴
第七高等学校・京都帝国大学文科大学に学ぶ。大正14年岡山における製塩業のリーダーだった祖父・野崎武吉郎が急逝したため、その家業と土地経営を継承。以来、塩業の経営に奮励努力し、昭和3年岡山県味野浜にカナワ式の製塩場を開設。その後も真空式や流下式など新しい製塩法を次々と取り入れ、製塩業の技術革新をはかった。9年には個人経営だったのを法人組織化し、株式会社野崎事務所に改組。さらに21年には同社を内海塩業株式会社に改称妹婿の船橋清賢に社長職を譲り、自らは会長に就任した。41年再び社長となり、イオン交換樹脂膜法の導入という製塩法の大改革を成し遂げた。47年に引退。この間、昭和45年に財団法人竜王会館を設立し、学術文化の振興に当たった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野崎丹斐太郎」の解説

野崎丹斐太郎 のざき-にいたろう

1892-1976 昭和時代の実業家。
明治25年4月18日生まれ。京都帝大でまなぶ。大正14年祖父野崎武吉郎の死去にともない,家業の製塩業経営を継承。カナワ式,真空式,流下式とあたらしい製塩法を導入し,製塩業の近代化をすすめた。昭和44年イオン交換樹脂膜法を採用した。昭和51年9月8日死去。84歳。岡山県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

戒厳令

一般的には指定地域で、国の統治権の全部または一部を軍に移行し、市民の権利や自由を保障する法律の一部効力停止を宣告する命令。戦争や紛争、災害などで国の秩序や治安が極度に悪化した非常事態に発令され、日本...

戒厳令の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android