日本歴史地名大系 「野崎垣内」の解説 野崎垣内のざきがいと 三重県:津市津城下野崎垣内[現在地名]津市野崎垣内岩田(のざきがいといわた)弓屋鋪(ゆみやしき)の南にあたり、地籍上は岩田村に属し、城下町に準じて取扱われた。しかし荒蕪地であったため、一〇代藩主高兌は百姓一〇戸を入植させ、家作や農具を補助して農業を奨励した。このことから出家(でや)ともいう。正長元年(一四二八)国司北畠満雅は小倉宮を奉じて反乱を起こし、幕府軍と岩田川で戦い、一二月二一日敗死し、首級は京都へ送られた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by