野志村(読み)のしむら

日本歴史地名大系 「野志村」の解説

野志村
のしむら

[現在地名]明智町野志

明知あけちより北に向かう街道に沿い、北は上手向かみとうげ(現山岡町)に接する山中小村慶長郷帳に「のし村」とあり、高二一四石余。正保郷帳では田方一八〇石余・畑方三四石余。文政三年(一八二〇)の家数四〇・人数一七八(「村歳代日記帳」佐々木文書)。安政六年(一八五九)の土地所持状況は、一石以下が七・五パーセント、一石から五石が四七・五パーセントで、一〇石以上は五パーセントとなっている(明智町誌)。山論も多く、貞享四年(一六八七)には杉平すぎだいら村と木草につき争い、知行所扱いとなる(杉平区有文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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