明智町(読み)あけちちよう

日本歴史地名大系 「明智町」の解説

明智町
あけちちよう

面積:六七・三六平方キロ

南東部にあり、南西は愛知県西加茂にしかも小原おばら村・同県東加茂郡あさひ町である。南東は串原くしはら村、東は上矢作かみやはぎ町、北は山岡やまおか町、西は瑞浪みずなみ市に接する。矢作川水系に属する高波たかなみ川・明智川・阿妻あづま川などが流れ、それらの谷を通じて街道が通る、古くからの交通の要衝であった。尾張から信州飯田へ通じる中馬ちゆうま街道が東西に通り、三河や東海地方と恵那盆地や飛騨を結ぶ南北の街道が交わり、東濃の宿場町物資の集散地として賑った。悲運の智将明智日向守光秀は明知城で生れたとする説もある。鎌倉時代以来明知遠山氏が居住したが、戦国時代末期に甲斐武田氏や織田氏の勢力下に入り、明知遠山氏は徳川家康のもとに逃れた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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