恵那郡(読み)えなぐん

日本歴史地名大系 「恵那郡」の解説

恵那郡
えなぐん

面積:七〇六・〇八平方キロ
蛭川ひるかわ村・福岡ふくおか町・坂下さかした町・川上かわうえ村・付知つけち町・加子母かしも村・岩村いわむら町・山岡やまおか町・明智あけち町・串原くしはら村・上矢作かみやはぎ

県の最南東端に位置し、南北に細長い。旧恵那郡であった中津川市・恵那市により中央を分断され、北部六町村と南部五町村に分れる。北の六町村を恵北地区とよび、南の五町村を恵南地区とよぶ。恵北地区は東は長野県木曾郡、南は中津川市・恵那市、西は加茂郡、北は益田ました郡に囲まれる。恵南地区は東は長野県下伊那郡、南は愛知県北設楽きたしたら郡・東加茂郡西加茂郡、西は瑞浪みずなみ市、北は恵那市・中津川市に接する。

北部は木曾檜などの国有林のある山林地帯で、裏木曾県立自然公園が広がる。南部は木曾山脈が東西に延び、胞山えなさん県立自然公園がある。これらの山々の間を多くの川が流れ、その盆地や扇状地・段丘上に集落がある。中央を占める中津川市・恵那市域を東西に木曾川が流れ、北から川上村・坂下町を流下する川上川、加子母村付知町・福岡町・蛭川村を流れる付知川が合流する。唐塩からしお(一六〇八・六メートル)を水源とする付知川の清冽な水は、アジメドジョウの生息を可能にしている。合流点より下流の三キロほどは峡谷をなし、両岸は浸食を受けた花崗岩壁で、恵那金剛とよばれる恵那峡随一の名勝地となっている。これら北から木曾川に流入する川は、木曾材の搬送路として利用され、川筋の堰造りも尾張藩の役人が指示を出している。この際に藩が買入れる柴や藤蔓は貴重な現金収入となった。三森みつもり(一一〇〇・三メートル)を水源とし、旧岩村城下を流れる川は阿木あぎ川となり南から木曾川に注ぐ。山岡町は土岐川支流の小里おり川上流部にあたる。上村かみむら川が上矢作町を流れ、県境で根羽ねば川と合して矢作川となる。明智町を流れる明智川は矢作川に合流する。

〔原始〕

縄文時代の研究は、木曾川流域の坂下町、中津川市・恵那市など開発の著しい市部を中心に行われてきた。また恵南地区の矢作川水系の水資源開発に伴う遺跡調査もなされたが、特徴ある遺跡はなかった。坂下町椛の湖はなのこ遺跡は爪形文土器(椛の湖I)、斜縄文土器(椛の湖II)が出土する縄文草創期の遺跡である。前期の遺跡として、福岡町野尻のじり上矢作久武瀬くぶせなどがあげられ、東日本系の諸磯式土器と西日本系の北白川下層式土器が伴出している。坂下町門垣戸かどがいと、串原村閑羅瀬しずらせ、上矢作町門野かどのの各遺跡は中期の遺跡として知られ、後期の遺跡では福岡町下島したじま遺跡、晩期の遺跡として明智町峰山みねやま遺跡があげられるが、中津川・恵那両市を除くと、顕著な事例をあげることはできない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報