野村 駿吉
ノムラ シュンキチ
大正・昭和期のゴルフ指導者 日本ゴルフ協会副会長。
- 生年
- 明治22(1889)年9月4日
- 没年
- 昭和38(1963)年5月13日
- 出生地
- 東京
- 学歴〔年〕
- 神戸高商(現・神戸大学)〔明治44年〕卒
- 経歴
- 三井物産に入社するが、大正10年退社して渡米、三菱石油の創立に参画。昭和8年野村事務所を設立、米カルテックス社のただ一人の日本人重役として業界で活躍。ゴルフ界では、2年日本アマ優勝。創成期の東京ゴルフ倶楽部の会員で、日本ゴルフ協会理事、副会長として日本のゴルフの発展に尽くした。またR&A(英国ゴルフ協会)初の日本人会員にも推挙され、ゴルフの国際舞台には欠かせなぬ存在であった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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野村駿吉 のむら-しゅんきち
1889-1963 大正-昭和時代の実業家,ゴルファー。
明治22年9月4日生まれ。野村竜太郎の次男。三井物産,三菱商事をへて,大正11年からアメリカのテキサスで石油採掘事業にたずさわる。昭和2年日本アマチュアゴルフ選手権で優勝。日本ゴルフ協会副会長,JOC委員などをつとめ,世界アマチュア・ゴルフ選手権の開催につくした。昭和38年5月13日死去。73歳。岐阜県出身。神戸高商(現神戸大)卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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