日本歴史地名大系 「野栄町」の解説 野栄町のさかまち 千葉県:匝瑳郡野栄町面積:二一・〇三平方キロ匝瑳郡の南東部に位置し、北は八日市場市、西は光(ひかり)町、南東は九十九里浜に面する。地形は標高五―一〇メートル前後の低地で、内陸部から岡(おか)集落・新田(しんでん)集落・納屋(なや)集落の順で形成されている。町域の中央部をほぼ東西に県道飯岡(いいおか)―一宮(いちのみや)線が、南北に県道八日市場―野栄線が通る。海岸線は水郷筑波(すいごうつくば)国定公園に含まれる。九十九里平野に位置することから原始・古代の遺跡は少ないものの、内裏塚(だいりづか)古墳、古墳時代初期の土師器を出土した丁字前(ていじまえ)遺跡などがある。「和名抄」にみえる匝瑳郡野田(のだ)郷・幡間(はたま)郷に含まれたとみられ、中世には千葉氏族の椎名氏・野手氏・押田氏らの活動が知られる。押田氏は天正一八年(一五九〇)徳川家康に仕え、翌一九年野手(ので)村で五〇〇石を給与され、天和元年(一六八一)には二千五〇〇石の旗本になった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by