日本歴史地名大系 「野芥村」の解説 野芥村のけむら 福岡県:福岡市早良区野芥村[現在地名]早良区野芥一―七丁目・野芥・干隈(ほしくま)五―六丁目・梅林(うめばやし)六―七丁目・田隈(たぐま)三丁目、城南(じようなん)区野芥・干隈二丁目干隈村の南西、油(あぶら)山北西山麓にある。南の西油山村に発した小川(東金屑川、現稲塚川)が北へ流れる。「和名抄」記載の早良郡能解(のけ)郷の遺称地とする説がある(続風土記)。天正一五年(一五八七)一〇月二六日の横岳崇福寺領注文(崇福寺文書)に「ノケ」とみえ、崇福(そうふく)寺領九町大があった。小早川時代の指出前之帳によると、野芥村は田七三町七反余(分米七八七石余)・畠三二町四反余(分大豆一七七石余)。慶長七年(一六〇二)の検地高一千九九三石余(慶長石高帳)。元禄五年(一六九二)には高二千六六石余、家数一三一・人数八二三(田圃志)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by