鬼塚(読み)おにづか

日本歴史地名大系 「鬼塚」の解説

鬼塚
おにづか

[現在地名]鹿島市大字納富分字行成

中川が造成する扇状地に築成された古墳で、標高一〇メートル付近の平地に立地する。「鹿島町小志」や「佐賀県史蹟名勝天然紀念物梗概」にも鬼塚と記され、また鬼塚という地名はすでに江戸時代の字図にも現れている。

古墳時代後期の六世紀後半に築成されたと推定される。すでに盗掘され、早くから開口していた。昭和四七年(一九七二)石室内の堆積土砂を片づけて石室内を清掃し、同五〇年に墳丘や石室内の調査と実測図作成等を実施した。

鬼塚
おにづか

[現在地名]塩田町大字久間字南下久間

標高二八七・九メートルの虚空蔵こくぞう山の東南麓に六〇メートル余りの小独立丘があるが、その四〇メートル余りの地点に所在する。地元の通称に従って鬼塚と称しているが、古墳時代後期、六世紀後半の古墳であろうと推定される。

早くからその存在が知られた盗掘墳であるが、墳丘は畑地となっていたため、石室は土砂で完全に埋没していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報