…まず江戸の人別改めが行われ,近年入居して裏店に住んでいる者を出生地などへ帰国させるという方針をうち出した。さらに町奉行所に担当者を置いて無宿,野非人(のひにん)(非人体の無宿)に対する大規模な刈込みを行い,江戸から追放するという強硬手段を実施した。天保期(1830‐44)の都市における社会・治安対策の一つとしての無宿,野非人の刈込みは,追放された野非人が半年で5000人にのぼるといわれるほどの,一応の成果をあげたともいわれている。…
…もとは仏教からでた言葉で,鬼神・夜叉(やしや)など,人にあらざるものが人の姿形をかりて現れたものの意味であったが,別に,罪人・世捨人・僧,最下級の神人(じにん),乞食(こつじき)などをさす語として平安時代いらい普及し,江戸時代になってからは,賤民身分の一部をさす呼称として,公式に江戸幕府・諸藩で採用され定着した。 江戸時代に,いわゆる士農工商の諸身分の下に〈えた〉とともに賤民として位置づけられた非人は,親子代々の〈非人素性〉のものがその中心をなしたが,ほかに,犯罪や,心中の仕損じを理由として非人身分に落とされて〈非人頭(がしら)〉の配下に入れられた〈非人手下(てか)〉,生活困窮のため乞食浮浪の身となった〈無宿非人〉〈野非人(のびにん)〉があり,その内容はさまざまであった。彼らは江戸幕府のひざもとで,歴代,〈穢多頭(えたがしら)〉の地位にあった弾左衛門(だんざえもん)の統轄下に置かれたが,直接的には江戸浅草の車善七(くるまぜんしち)に代表されるような各地の非人頭,もしくは非人頭に該当する役職の者(たとえば,京都ではそれを悲田院年寄といっていた),さらには非人頭に属する多数の小屋頭たちの支配を受け,町外れや河原の非人村の小屋に住み,物乞い生活を基本としながら,大道芸,犯罪者の市中引廻し,処刑場での雑役などで,日々の暮しをたてていた。…
…その原因は多様であるが,貧窮による欠落(かけおち)や家出のほか,親から久離,勘当されたり,博打(ばくち),窃盗,刃傷(にんじよう),失火などの罪によって軽追放,所払(ところばらい)などの刑に処せられた場合などがある。無宿には大別して,無宿野非人(のひにん)と呼ばれる乞食,物もらいのような存在と,もうひとつは長脇差を差した浪人体の者や博徒的存在の者があった。無宿人が江戸などの都市およびその近在に多数徘徊し,社会不安を起こすようになったのは18世紀後半の田沼時代からで,幕府は1778年(安永7)無宿人を捕らえて再犯のおそれある者は懲らしめのため佐州水替人足(佐渡金山の水替人足)に使役することを始め,以来数次にわたり長崎,大坂などの無宿を含めて佐渡送りにしている。…
※「野非人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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