非人(読み)ヒニン

デジタル大辞泉 「非人」の意味・読み・例文・類語

ひ‐にん【非人】

江戸時代えたとともに士農工商の下におかれた被差別階層。また、それに属する人。遊芸刑場雑役などに従事した。明治4年(1871)の太政官布告で法的には平民とされたが、社会的差別はなお存続した。
仏語人間でないもの。天竜八部衆悪魔などをいう。
出家遁世した僧。世捨て人。また、非常に貧しい人。
「西行上人は身を―になせども」〈ささめごと

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精選版 日本国語大辞典 「非人」の意味・読み・例文・類語

ひ‐にん【非人】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 仏語。人間ではないの意で、鬼神などが、かりに人に姿を変えたもの。また、鬼神・阿修羅とも、天龍八部・夜叉・悪鬼などともする。
    1. [初出の実例]「七人の非人有り、牛頭にして人身なり」(出典:日本霊異記(810‐824)中)
    2. [その他の文献]〔法華経‐提婆達多品〕
  3. つみびと。ざいにん。
    1. [初出の実例]「罪人橘逸勢、除本姓、賜非人姓」(出典:続日本後紀‐承和九年(842)七月庚申)
  4. 世捨人。また、法師。僧。
    1. [初出の実例]「身を非人に成て彼三昧の事に命を続で後世をとり侍らん」(出典:発心集(1216頃か)二)
  5. 非常に貧しい人。生活困窮者。乞食。
    1. [初出の実例]「乞食非人のもんに望むには給賜せずして悪み厭ひ」(出典:愚迷発心集(1213頃))
  6. 中世および近世における賤民身分の称。中世では社会的に賤視された人々の総称として用いられた。近世、江戸時代には幕藩体制の民衆支配の一環として、えた(穢多)とともに士農工商より下位の身分に位置づけられ過酷な差別を受けた階層。生産的労働に従事することは許されず、遊芸や物貰いなどで生活し、牢獄や処刑場での雑役などの役務に従事した。非人頭の支配に属し、主として非人小屋に居住した。明治四年(一八七一)太政官布告によって、法制上は身分、呼称とも廃止されたが、現在に至るも不当な差別は根絶されていない。→穢多部落解放運動
    1. [初出の実例]「如鹿者をこそ取退候へ、此は死人にて候へは、非人も難治之由令申歟」(出典:春日社記録‐中臣祐賢記・文永二年(1265)一〇月二五日)

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改訂新版 世界大百科事典 「非人」の意味・わかりやすい解説

非人 (ひにん)

もとは仏教からでた言葉で,鬼神・夜叉(やしや)など,人にあらざるものが人の姿形をかりて現れたものの意味であったが,別に,罪人・世捨人・僧,最下級の神人(じにん),乞食(こつじき)などをさす語として平安時代いらい普及し,江戸時代になってからは,賤民身分の一部をさす呼称として,公式に江戸幕府・諸藩で採用され定着した。

 江戸時代に,いわゆる士農工商の諸身分の下に〈えた〉とともに賤民として位置づけられた非人は,親子代々の〈非人素性〉のものがその中心をなしたが,ほかに,犯罪や,心中の仕損じを理由として非人身分に落とされて〈非人頭(がしら)〉の配下に入れられた〈非人手下(てか)〉,生活困窮のため乞食浮浪の身となった〈無宿非人〉〈野非人(のびにん)〉があり,その内容はさまざまであった。彼らは江戸幕府のひざもとで,歴代,〈穢多頭(えたがしら)〉の地位にあった弾左衛門(だんざえもん)の統轄下に置かれたが,直接的には江戸浅草の車善七(くるまぜんしち)に代表されるような各地の非人頭,もしくは非人頭に該当する役職の者(たとえば,京都ではそれを悲田院年寄といっていた),さらには非人頭に属する多数の小屋頭たちの支配を受け,町外れや河原の非人村の小屋に住み,物乞い生活を基本としながら,大道芸,犯罪者の市中引廻し,処刑場での雑役などで,日々の暮しをたてていた。江戸では,罹病の囚人や15歳未満の罪人たちは,浅草・品川の非人頭のもとで非人が管理していた非人溜(ひにんため)に収容され,そのことを非人小屋預(あずけ)といった。また,前記の無宿・野非人については,天保~嘉永年間(1830-54)に浅草に非人寄場(よせば)が設けられていた。非人身分は,1871年(明治4)8月23日の太政官布告により廃止されたが,非人の集住していた非人村の多くは,〈えた〉の集落と同様に江戸時代をつうじて深刻な差別の対象となっており,現代における被差別部落の一源流をなした。
被差別部落
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百科事典マイペディア 「非人」の意味・わかりやすい解説

非人【ひにん】

近世幕藩体制の身分制度において賤民身分として位置づけられた人々に対する身分呼称の一種。出生によるほか,刑罰によるもの(非人手下(てか)),生活困窮などにより乞食浮浪して非人になるものとがあり,もとの身分に戻る〈足洗い〉の制もあった。抱非人(かかえひにん)と無宿の野非人とがあり,江戸市中および関東周辺12ヵ国の抱非人は各地の非人頭を通じて弾左衛門の統轄下におかれた。1871年明治政府は〈太政官布告(解放令)〉を発して近世の賤民制度と〈穢多〉〈非人〉の称を廃止したが,非人身分の人々およびその集住地域への賤視と差別は解消されず,現代に続く被差別部落の一源流をなした。非人は元来仏教から出た言葉であるが,10―11世紀の日本の中世社会の成立過程のなかで,多様な被差別民を包括する身分的呼称として社会に定着していき,近世社会では前述のように賤民身分の一呼称として位置づけられた。ただし中世の〈非人〉については,身分体系全体のなかにいかに位置づけるか,様々な考え方があり,近世の〈賤民〉との関係についても十分には解明されていない。
→関連項目えた清水坂新平民賤民部落解放運動身分制度

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「非人」の解説

非人
ひにん

既存の共同体から疎外された乞食などをさす。中世の非人は非人宿をつくり,斃牛馬(へいぎゅうば)処理,刑吏,呪術・芸能など一連の穢(けがれ)に対する清めの職能を担った。彼らは中世後期に,斃牛馬処理,刑吏を担う河原者と呪術・芸能にかかわる声聞師(しょうもじ),宿(夙)(しゅく),散所(さんじょ)などに大きく分化し,近世では穢多身分と諸雑賤民とになる。近世の非人は飢饉などで多くうみだされ,おのおの組織化されたが,穢多の支配をうける地域や独自の頭をもつ地域もあり,組織のあり方は多様であった。しかし,正月や五節供,吉凶時に勧進したり,門付(かどづけ)の雑芸能などを行う点や,番人,掃除,刑吏役などを勤めるという生活のあり方は共通していた。近世前期に非人組織が形成されて以降も,つねにうみだされ,彼らは新非人,野非人(のひにん)などとよばれた。野非人は人返しされるか,非人手下(てか)となるか,いずれかに「身分片付」をされることが原則だったが,近世中期以降,都市社会に定着することになる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「非人」の意味・わかりやすい解説

非人
ひにん

江戸時代の最下層身分,またはその身分の者。中世では賤民身分の呼称の一つであったが,江戸時代には穢多 (えた) と非人は区別され,それぞれ一つの身分をなしていた。親子代々その身分を世襲する非人と,軽犯罪,貧困などで庶民から転落したものとがあり,職業を制限され,物乞,遊芸,行刑などにあたった。江戸では穢多頭支配下の非人頭 (車善七ら) に属し,身分上,穢多より下位にあったが,農工商身分に復帰する道もあった。明治4 (1871) 年その身分制が廃止された頃は全国に2万 3480人を数えた。 (→ , 番太 )

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普及版 字通 「非人」の読み・字形・画数・意味

【非人】ひじん

廃人。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「非人」の意味・わかりやすい解説

非人
ひにん

士・農工商・穢多非人

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旺文社日本史事典 三訂版 「非人」の解説

非人
ひにん

穢多 (えた) とともに江戸時代の賤民身分。

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世界大百科事典(旧版)内の非人の言及

【悪】より

…悪僧が裹頭(かとう)したように,このころの悪党も柿帷(かきかたびら)・覆面・蓑笠姿など〈異類異形(いるいいぎよう)〉といわれた服装をすることによって,世俗の規制から自由に行動したので,禁圧する側は〈異形〉自体を悪として罰した。しかもこうした服装は非人の姿でもあり,〈屠者〉を悪人とする仏教思想も加わって,穢れを清める職能を持つ非人を〈悪人〉として差別する空気も社会の一方に広がりはじめる。15~16世紀から江戸時代に現在の用法に近づくが,〈悪〉をいたずら者,生気あふれるものとする見方に,悪を肯定する前代の風潮は生きつづけている。…

【印地】より

…無礼の者,広く反感をかった者,罪人に対する飛礫も同様の意味からであろう。また〈向へ礫,印地,云甲斐なき辻冠者原,乞食法師ども〉(《平家物語》),〈河原ゐんぢやとざまなる悪党の奴原〉(《渋柿》)といわれたように,飛礫は〈清目(きよめ)〉を職能とする非人あるいは悪党と密接な関係があり,白河辺には〈向飛礫の輩〉といわれ,老若の組織を持つ印地の党がいたのである。 飛礫はときに武芸による刃傷を伴ったので,1263年(弘長3)の公家新制の禁止,あるいは66年(文永3)鎌倉比企谷でおこった甲乙人の飛礫に対する幕府の禁圧のように,支配者は抑制しようと試みたが,実効はなく,飛礫に神意を見る民衆の根強い感情を背景に,鎌倉・南北朝期には飛礫を打つ人々を英雄視する見方も強かった。…

【江戸時代】より

…人はなんらかの集団に所属して役を務めるべきであり,そうでないものは徒者(いたずらもの)として取り締まられた。乞食も,非人頭の手下でないものは野非人(のひにん)として捕らえられ,郷里のあるものは送り帰されて百姓とされ,ないものは非人頭の手下に編成されて町の清掃などの役を務めさせられた。乞食さえも役にたてずにはおかないのが,この時代であった。…

【慈善事業】より

… 古代の慈善救済活動は儒教思想の影響を強く受けた公的な諸制度と福田思想を基本とする私的な活動とに大別できるが,前者は十分に機能を発揮しえず早く停廃されたものもあり,平安期まで存続した制度も一部の地域で機能するにとどまったとみられ,中世へ継承されたのは主として個人による活動であった。【舟尾 好正】
[中世]
 中世における慈善事業の中心となっていたのは,仏教者が慈悲行・布施行(ふせぎよう)の実現を目的とする形で,乞食非人と呼ばれた人々に非人施行をすることであった。その最も早い時期の宗教活動家としてあげられるのは,東大寺別当となった永観(1053‐1132)を中心とする平安末期の浄土教の聖であろう。…

【宿】より

…しかし武士以外にも,なんらかの原因によってこの長者の地位を得ていた者がおり,その中には宿の遊女の統率・管理を業とした遊女の長(おさ)も含まれていたと考えられる。 宿にたむろする人々は種々さまざまで,武士,農民,遊女,馬借(ばしやく),車借(しやしやく),大工,細工(さいく),鍛冶(かじ),鋳物師(いもじ),傀儡子(くぐつ)などが混在したが,ほかに〈非人(ひにん)〉と呼ばれた乞食(こつじき)浮浪の民も食と仕事をもとめて宿に集まり,宿の周縁部に仮住いの地を得て,集団をなすことが少なくなかった。とくに西国(さいごく)(近畿以西の諸国)では,平安末期いらい,漸次,〈非人〉を構成員とする〈非人宿(ひにんじゆく)〉が主として大寺社の差配のもとで編成・固定され,これが特別の賤視の対象となっていくにつれて,中世末~近世初期における被差別部落の形成につながったとみられる。…

【被差別部落】より

…そこで〈えた〉=〈かわた〉が被差別民の中核部分として確定される端緒が開かれたのであるが,それが制度的に明確になるまでには相当な歳月を要し,各地方の実情・独自性ともかかわりながら,漸次,年を追って強化されていった。
【近世以前の被差別民】
 部落差別は,いうまでもなく被差別部落の編成・固定に発するが,〈えた〉や〈非人〉をはじめとする各種の賤民層に対する差別は,明らかに近世以前に存在しており,豊臣政権と江戸幕府は,既往の差別慣習を踏まえて旧来の被差別民の身分的な整理・再編・固定をはかり,被差別部落の基本的な枠組みを確立させたと考えられる。したがって,被差別部落,ならびに部落差別の根源について適切な理解を得るには,被差別部落の成立を導きだした歴史的前提として,先行する各時代の身分制を概観しておかねばならない。…

【漂泊民】より

… これらの漂泊・遍歴する人々,旅する人々は,定住状態にある人々とは異なった衣装を身につけた。鹿の皮衣をまとい,鹿杖(かせづえ)をつく浮浪人や芸能民,聖,蓑笠をつけ,あるいは柿色の帷を着る山伏や非人,覆面をする非人や商人,さらに縄文時代以来の衣といわれる編衣(あみぎぬ)を身につけた遊行僧の姿は,みな漂泊民の特徴的な衣装であった。また日本においては女性の商人・芸能民・旅人も多かったが,この場合も,壺装束という深い市女笠(いちめがさ)をかぶり,襷(たすき)をかけた巫女の服装に共通した姿をしたり,桂女(かつらめ)のような特有の被り物(かぶりもの)をするのがふつうであった。…

※「非人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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