もとは仏教からでた言葉で,鬼神・夜叉(やしや)など,人にあらざるものが人の姿形をかりて現れたものの意味であったが,別に,罪人・世捨人・僧,最下級の神人(じにん),乞食(こつじき)などをさす語として平安時代いらい普及し,江戸時代になってからは,賤民身分の一部をさす呼称として,公式に江戸幕府・諸藩で採用され定着した。
江戸時代に,いわゆる士農工商の諸身分の下に〈えた〉とともに賤民として位置づけられた非人は,親子代々の〈非人素性〉のものがその中心をなしたが,ほかに,犯罪や,心中の仕損じを理由として非人身分に落とされて〈非人頭(がしら)〉の配下に入れられた〈非人手下(てか)〉,生活困窮のため乞食浮浪の身となった〈無宿非人〉〈野非人(のびにん)〉があり,その内容はさまざまであった。彼らは江戸幕府のひざもとで,歴代,〈穢多頭(えたがしら)〉の地位にあった弾左衛門(だんざえもん)の統轄下に置かれたが,直接的には江戸浅草の車善七(くるまぜんしち)に代表されるような各地の非人頭,もしくは非人頭に該当する役職の者(たとえば,京都ではそれを悲田院年寄といっていた),さらには非人頭に属する多数の小屋頭たちの支配を受け,町外れや河原の非人村の小屋に住み,物乞い生活を基本としながら,大道芸,犯罪者の市中引廻し,処刑場での雑役などで,日々の暮しをたてていた。江戸では,罹病の囚人や15歳未満の罪人たちは,浅草・品川の非人頭のもとで非人が管理していた非人溜(ひにんため)に収容され,そのことを非人小屋預(あずけ)といった。また,前記の無宿・野非人については,天保~嘉永年間(1830-54)に浅草に非人寄場(よせば)が設けられていた。非人身分は,1871年(明治4)8月23日の太政官布告により廃止されたが,非人の集住していた非人村の多くは,〈えた〉の集落と同様に江戸時代をつうじて深刻な差別の対象となっており,現代における被差別部落の一源流をなした。
→被差別部落
執筆者:横井 清
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既存の共同体から疎外された乞食などをさす。中世の非人は非人宿をつくり,斃牛馬(へいぎゅうば)処理,刑吏,呪術・芸能など一連の穢(けがれ)に対する清めの職能を担った。彼らは中世後期に,斃牛馬処理,刑吏を担う河原者と呪術・芸能にかかわる声聞師(しょうもじ),宿(夙)(しゅく),散所(さんじょ)などに大きく分化し,近世では穢多身分と諸雑賤民とになる。近世の非人は飢饉などで多くうみだされ,おのおの組織化されたが,穢多の支配をうける地域や独自の頭をもつ地域もあり,組織のあり方は多様であった。しかし,正月や五節供,吉凶時に勧進したり,門付(かどづけ)の雑芸能などを行う点や,番人,掃除,刑吏役などを勤めるという生活のあり方は共通していた。近世前期に非人組織が形成されて以降も,つねにうみだされ,彼らは新非人,野非人(のひにん)などとよばれた。野非人は人返しされるか,非人手下(てか)となるか,いずれかに「身分片付」をされることが原則だったが,近世中期以降,都市社会に定着することになる。
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…悪僧が裹頭(かとう)したように,このころの悪党も柿帷(かきかたびら)・覆面・蓑笠姿など〈異類異形(いるいいぎよう)〉といわれた服装をすることによって,世俗の規制から自由に行動したので,禁圧する側は〈異形〉自体を悪として罰した。しかもこうした服装は非人の姿でもあり,〈屠者〉を悪人とする仏教思想も加わって,穢れを清める職能を持つ非人を〈悪人〉として差別する空気も社会の一方に広がりはじめる。15~16世紀から江戸時代に現在の用法に近づくが,〈悪〉をいたずら者,生気あふれるものとする見方に,悪を肯定する前代の風潮は生きつづけている。…
…無礼の者,広く反感をかった者,罪人に対する飛礫も同様の意味からであろう。また〈向へ礫,印地,云甲斐なき辻冠者原,乞食法師ども〉(《平家物語》),〈河原ゐんぢやとざまなる悪党の奴原〉(《渋柿》)といわれたように,飛礫は〈清目(きよめ)〉を職能とする非人あるいは悪党と密接な関係があり,白河辺には〈向飛礫の輩〉といわれ,老若の組織を持つ印地の党がいたのである。 飛礫はときに武芸による刃傷を伴ったので,1263年(弘長3)の公家新制の禁止,あるいは66年(文永3)鎌倉比企谷でおこった甲乙人の飛礫に対する幕府の禁圧のように,支配者は抑制しようと試みたが,実効はなく,飛礫に神意を見る民衆の根強い感情を背景に,鎌倉・南北朝期には飛礫を打つ人々を英雄視する見方も強かった。…
…人はなんらかの集団に所属して役を務めるべきであり,そうでないものは徒者(いたずらもの)として取り締まられた。乞食も,非人頭の手下でないものは野非人(のひにん)として捕らえられ,郷里のあるものは送り帰されて百姓とされ,ないものは非人頭の手下に編成されて町の清掃などの役を務めさせられた。乞食さえも役にたてずにはおかないのが,この時代であった。…
… 古代の慈善救済活動は儒教思想の影響を強く受けた公的な諸制度と福田思想を基本とする私的な活動とに大別できるが,前者は十分に機能を発揮しえず早く停廃されたものもあり,平安期まで存続した制度も一部の地域で機能するにとどまったとみられ,中世へ継承されたのは主として個人による活動であった。【舟尾 好正】
[中世]
中世における慈善事業の中心となっていたのは,仏教者が慈悲行・布施行(ふせぎよう)の実現を目的とする形で,乞食,非人と呼ばれた人々に非人施行をすることであった。その最も早い時期の宗教活動家としてあげられるのは,東大寺別当となった永観(1053‐1132)を中心とする平安末期の浄土教の聖であろう。…
…しかし武士以外にも,なんらかの原因によってこの長者の地位を得ていた者がおり,その中には宿の遊女の統率・管理を業とした遊女の長(おさ)も含まれていたと考えられる。 宿にたむろする人々は種々さまざまで,武士,農民,遊女,馬借(ばしやく),車借(しやしやく),大工,細工(さいく),鍛冶(かじ),鋳物師(いもじ),傀儡子(くぐつ)などが混在したが,ほかに〈非人(ひにん)〉と呼ばれた乞食(こつじき)浮浪の民も食と仕事をもとめて宿に集まり,宿の周縁部に仮住いの地を得て,集団をなすことが少なくなかった。とくに西国(さいごく)(近畿以西の諸国)では,平安末期いらい,漸次,〈非人〉を構成員とする〈非人宿(ひにんじゆく)〉が主として大寺社の差配のもとで編成・固定され,これが特別の賤視の対象となっていくにつれて,中世末~近世初期における被差別部落の形成につながったとみられる。…
…そこで〈えた〉=〈かわた〉が被差別民の中核部分として確定される端緒が開かれたのであるが,それが制度的に明確になるまでには相当な歳月を要し,各地方の実情・独自性ともかかわりながら,漸次,年を追って強化されていった。
【近世以前の被差別民】
部落差別は,いうまでもなく被差別部落の編成・固定に発するが,〈えた〉や〈非人〉をはじめとする各種の賤民層に対する差別は,明らかに近世以前に存在しており,豊臣政権と江戸幕府は,既往の差別慣習を踏まえて旧来の被差別民の身分的な整理・再編・固定をはかり,被差別部落の基本的な枠組みを確立させたと考えられる。したがって,被差別部落,ならびに部落差別の根源について適切な理解を得るには,被差別部落の成立を導きだした歴史的前提として,先行する各時代の身分制を概観しておかねばならない。…
… これらの漂泊・遍歴する人々,旅する人々は,定住状態にある人々とは異なった衣装を身につけた。鹿の皮衣をまとい,鹿杖(かせづえ)をつく浮浪人や芸能民,聖,蓑笠をつけ,あるいは柿色の帷を着る山伏や非人,覆面をする非人や商人,さらに縄文時代以来の衣といわれる編衣(あみぎぬ)を身につけた遊行僧の姿は,みな漂泊民の特徴的な衣装であった。また日本においては女性の商人・芸能民・旅人も多かったが,この場合も,壺装束という深い市女笠(いちめがさ)をかぶり,襷(たすき)をかけた巫女の服装に共通した姿をしたり,桂女(かつらめ)のような特有の被り物(かぶりもの)をするのがふつうであった。…
※「非人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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