日本歴史地名大系 「金井島村」の解説
金井島村
かないしまむら
東と北の境を
近世は小田原藩領。文禄―慶長年間(一五九二―一六一五)に至る酒匂川移動工事によって、中央を流れていた同河川が遮断され(「蓮華寺縁起」蓮華寺文書)、その廃川床敷の開発により慶長一七年の検地を経て寛永一七年(一六四〇)の検地帳(県史四)では四八町五反九畝余に増し、万治元年(一六五八)の検地帳(瀬戸文書)の五九町一反一畝余をもって七九九石余の村高が確立した。慶長年間に藩主大久保忠隣から
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報